「入部した当初はめちゃめちゃ弱かったですよ。6年生が少ないこともあって、2年生の頃から上級生の試合に出ていました。弱い時期だったなぁ。僕が5年生くらいのときくらいからだんだんと強くなってきました」
打撃練習が大好きで、ガンガンかっ飛ばしホームランを量産していた晃くん。打球は90メートルはあるだろうグラウンドを越え、その先の体育館まで飛んでいくこともあった。
「そう言えば、体育館に穴を空けたこともありましたね。でも僕より飛ばすヤツもいたんですよ。同級生でのちに浦和学院に行った、双子の比留間兄弟。この2人はもっと飛ばしていました」
3番を打つことが多かった晃くんと比留間兄弟でクリーンアップを組んでいたんだとか。小学生にして破壊力抜群の恐ろしい打線だ。
最上学年になるとキャプテンに就任した。あいさつはしっかり、ものごとは大きな声ではっきり言うとのチームのルールを率先して体現していく。「大きな声を出すということは自分の意思を伝えるということ」と、野球人としての基礎を身に付けていった。
「将来の夢はプロ野球選手」。卒業式でそう宣言した少年は、ノートの端にこっそりサインの練習をする可愛らしい一面もあった。寝室の天井には憧れの小久保裕紀選手のポスターを貼っていた。未来の師匠を眺めながら、「僕もいつかはプロの世界で活躍するんだ……」そんなことを思い描きながら眠りについていた。
朝霞第二中学に進学すると、小学生の頃から練習内容を耳にしていた軟式野球部へ入部した。顧問の橋本先生は理論派で、シンクロ打法やうねり打法など、様々な練習メニューを体験するようになる。練習が週末だけだった「岡ファイターズ」とは違い、毎日行われる部活。それにこれまでなかった上下関係も加わり、環境の変化に対応することで精一杯の日々が始まっていく。
(取材・文/古江美奈子 ※幼少期の写真は提供写真)
協力:福岡ソフトバンクホークス オフィシャル球団誌『月刊ホークス』
https://www.hawks-ma.net/