高校は甲子園常連の強豪・帝京高校へ進学した。中学時代はエースで4番というような選手が集う。硬式での経験がない晃くんは最初こそ自信がなく戸惑いもあったが、自分で選んだ道なのだからと、どんなに辛くても3年間乗り切ることを心に決め高校生活をスタートさせた。
7時頃から朝練を行い、放課後は15時から全体練習、最終下校時刻の21時まで個人練習を行う。固く決意したとは言え、やはり練習はハードで、上下関係も厳しかった。さらに追い込まれたのは食事。帝京名物「3合飯」には泣かされてきた。
「食べるのは得意ではなかったし、食べないといけないと思うとよけいに食べられないタイプ。基本は1食3合です。お弁当を部室に持って行って、みんなで食べるのが決まり事でした。ちゃんと食べているか監督のチェックが入るんです」
晃くんのお弁当箱は一般の生徒に比べれば大きかったが、前田三夫監督から「何だ、そのサイズは!?」と指摘されてしまう。そして、監督自ら三合飯が入るお弁当箱を買ってきてくれた。いくら食べ盛りの男の子でも、かなり苦しかったようだ。
プレー面では言うことなしに成長を遂げていく。1年生からベンチ入りし、秋からは4番に座る。プロになった現在もそうだが、何番でも変わりなく打席に立てるのが中村選手の強み。1年生だから、主軸だからという理由で精神的な変化はなかった。
憧れの甲子園に初めて出場したのは2年生の夏だった。「印象に残っている」と話す初戦の如水館戦ではソロホームランを含む3安打を放って打線を牽引。10対2で勝利した。3回戦は延長の末、5対4で福岡工大城東を下す。そして準々決勝は智弁和歌山と対戦。4対8と追いかける9回表、集中打で一挙8得点を挙げ逆転に成功。しかしその裏、5点を奪われサヨナラ負けを喫した。
信じられない展開で味わったこの悔しさが、翌年へと繋がっていった。
(取材・文/古江美奈子 ※幼少期の写真は提供写真)
次回「高校〜プロ編」に続きます
協力:福岡ソフトバンクホークス オフィシャル球団誌『月刊ホークス』
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