小学校に入学後、大分市に引っ越してからも内川選手の野球好きが収まることはなかった。通っていた小学校のチームは小3から入部が認められていた。しかし、練習日になるとグラウンドの隅に座った小1の内川選手が、黙々と練習を眺めている。小2に進級したある日、学校行事でドッヂボールをしていた内川選手を少年野球部の監督がたまたま目にしたのだという。その時「この子はいい選手になる。いつも練習を見に来るほど野球が好きなので、なんとか入部させてあげたい」と臨時の保護者会を開き、わざわざ部則を改定して小2の内川選手をチームに招き入れた。そうして内川聖一という偉大な野球人のキャリアはスタートしたのだった。
子育てのうえで、内川選手の両親が心がけていたのは「強制させないこと」だ。子どもの性格や何に興味を抱いているのかを把握して、どういう方向性を示していくか。
内川選手は少年時代にスイミング、書道、英会話にも通っている。また、本を与えてみたものの、野球以外の興味はまるで示さなかった。つまり、ここで「本人の好きなことをさせてあげよう」となる。内川選手の場合、それが野球だったというわけだ。(文:加来慶祐/写真は家族提供)
子育てのうえで、内川選手の両親が心がけていたのは「強制させないこと」だ。子どもの性格や何に興味を抱いているのかを把握して、どういう方向性を示していくか。
内川選手は少年時代にスイミング、書道、英会話にも通っている。また、本を与えてみたものの、野球以外の興味はまるで示さなかった。つまり、ここで「本人の好きなことをさせてあげよう」となる。内川選手の場合、それが野球だったというわけだ。(文:加来慶祐/写真は家族提供)
後編「両親が厳しくしつけた3つの約束事」へ続きます。