ニュース 2018.06.01. 15:46

「文武両道 ービジネス界で活躍する元球児ー」星川太輔さん(前編)

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近年ビッグデータの波が押し寄せているプロ野球界。象徴的な機器が投球、打球のあらゆるデータを計測することができる『トラックマン』だ。もともとは軍事用に使用されていたレーダーであり、スポーツ界ではゴルフの弾道を計測するものからスタートしている。野球界でもメジャー・リーグを皮切りその普及は瞬く間に広がり、今シーズン前にはNPBでも広島を除く11球団が本拠地に導入されたと報じられた。そのトラックマンの国内での営業、オペレーションを担当しているのが株式会社リバー・スター代表取締役の星川太輔さんだ。星川さんは慶応義塾大学の硬式野球部出身で、高橋由伸監督(巨人)の1学年後輩にあたる。しかしその経歴は典型的な“元球児”とは大きく異なるものだった。どのような経歴を経て現在も野球界の最前線に携わっているのか、お話を聞いた。




——星川さんが野球を始めたきっかけを教えてください。
自分くらいの年齢(満42歳)のほとんどがそうだと思うんですけど、当時はスポーツと言えばまず野球だったんですね。だから気がついたら始めていたという感じです。チームに入ったのは小学校3年生くらいで、地元の小学校でやっている軟式野球のチームでした。野球以外の習い事は公文、書道、水泳くらいですかね。中学はそのまま地元の学校の軟式野球部に入りました。

——ところが中学時代に一度野球を辞めているとうかがいましたが。
自分で言うのも何ですけど、同学年では割と上手い方だったので下級生の時から試合に出してもらっていたんですね。ただ1年生の時顧問だった先生が2年生の時に異動してしまい野球のことが分かる指導者の方がいなくなってしまいました。そういう事情もあって、このまま続けても仕方ないと思い、野球を辞めることにしました。もともと高校で野球を真剣に続けるか、勉強をしっかりやるか迷っていましたが、野球を辞めてからは完全に受験勉強に切り替えて慶応志木に進学しました。

——高校では改めて野球部に入ったのですか?
最初は少し考えたのですが、あまり厳しい環境ではないと思って野球部には入りませんでした。高校では応援部です。

——応援部を選んだ理由はなぜだったのですか?
とにかく厳しい部活に入りたいという思いがあり、色々話を聞いていると応援部が厳しいということを聞いたんですね。あとは入学した時の新入生歓迎会での出し物のインパクトがとにかく強かったんですよ。文化祭でも応援団が演舞を披露するんですけど、それがクライマックスでとにかく学校の中でも一番華のある部活でした。

——実際入ってみて環境は厳しかったですか?
それはもう厳しかったですね(笑)普通の体育会より理不尽なことが当たり前のようにありましたし、走ったり筋トレしたり体力的な面でもかなり追い込まれました。あとは全校生徒の前で一発芸みたいなこともするんですけど、その練習も相当しましたね。面白くなかったら走らされますから(笑)ただ自分で厳しい環境を求めて入ったので嫌になることはありませんでしたし、3年生の時は団長も務めました。応援団の活動に熱中しすぎて、最後の文化祭が終わった後は完全に燃え尽きて、大学に進学する気も起らなかったほどです。「何もやりたいことが今ないなら大学に行ってから考えなさい。行って嫌になれば辞めればいいから」と当時の先生に言われてやっと進学を決めたくらいでした。
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