ニュース 2018.07.10. 16:59

荒れた中学校での非常勤講師が、野球指導者としての原点

無断転載禁止

赴任2日目に起こったトラブル

私に教員の声がかかったのは、東大阪市の中学校でした。1973年に他の中学から分離開校したばかり。東大阪市の教育委員会の方はわざわざ私の目を見て「がんばってください」と言いました。大阪府教育委員会での面接でも面接官が大きな声で「がんばってください」と言うんです。つまり、それだけ荒れている問題校だったんですね。

この学校に社会科の非常勤講師として赴任しました。
赴任して二日目に早速、生徒とぶつかりました。野球部には監督がいましたが、正規の教諭なので会議に出席していました。そこで私が野球部を見ることになったのですが、野球部員がトスバッティングをしている間、新入生部員を集めて話をしようとしたら。サッカー部員が野球部のバットを勝手に持ち出してトスバッティングを始めたんです。
「カチン」と来て、私はその生徒のところにいって一喝しました。彼はグループのナンバー2でしたが、殴りかかってきました。そこで私は彼の腕をねじり上げました。心の中で「二日目からこれか」と思いながら。まあ、生徒にしても「この若い教師、どこまでやるのかな」という気持ちだったのでしょう。

偶然にも、その中学校の校長先生は、元プロ野球選手でした。阪急にテスト生として1年だけいて、レベルが違うことがわかり、そこから猛勉強して教員免許を取り、教職に就いた方でした。
翌日、校長先生に呼ばれました。叱られるのを覚悟して校長室に入ったら、
「あんたのやったことは正しい。悪いことを悪いというのは教師の務めだ。本来はトラブルを避けて言葉で諭すのが一番だが、見て見ぬふりするのは一番悪い、責任取ってあげるから、気にせんとがんばってほしい」と励まされました。

荒れた中学校には、20代の若い先生がたくさんいました。ベテランの先生が敬遠したからでしょう。先生たちは、ソフトボールをしたり、学園祭で先生が芝居を上演したり、一致団結して学校をよくするために頑張りました。
ポスト シェア 送る
連載・コラム
カラダづくり
練習
お役立ち
チーム紹介
TOPICS