メンタルトレーニングとの出会い
浪速高校を甲子園に連れて行くことができたのは、私が着任して12年目の1991年の選抜大会でした。でも、それまでもいいところまでは行っていました。前年まで、6季連続で浪速高校に勝った高校が甲子園に出ていたんです。当時は大阪府私学七強の時代から、上宮など新興の学校が強くなり始めた時期でした。浪速高校も名前が上がるようになりました。
のちに甲子園に出る子供たちが入学する少し前あたりから、メンタルトレーニングを学び始めました。
メンタルトレーニングとは、トレーニングによって不安や怖れ、ストレス、プレッシャーに負けない精神状態を作ることです。スポーツでいえば、プレッシャーに打ち克ち、日ごろの力を出し、潜在能力を発揮できるようになります。
メンタルトレーニングとの出会いは、偶然でした。たまたま職員室で隣の席だった年配の先生の机に「集中力のつくテープ」というカセットが置いてあったのです。著者名は下口雄山と言う人でした。私は興味をもって下口先生に習いに行って、自分でマスターしました。
下口先生の教室に来ていたスポーツ関係者は私だけ。あとは日頃のストレス解消をしたいと思うサラリーマンなどでした。
アメリカではメンタルトレーニングは、アスリートには必須のメニューです。当時、学校にいた英会話担当の外国人教師は
「そんなことは、アメリカでは歯を磨くように当たり前でやっていた」と言いました。
これを野球に取り入れたのは、日本では私が初めてです。
メンタルトレーニングを学んで、私はものすごく感性が鋭くなりました。作戦も練習メニューも指導のチェックポイントも、的確に判断することができるようになりました。また、むやみに怒らなくなりました。そして無駄なことは言わず、ピンポイントで指摘することができるようになりました。
初めて甲子園に出場
この時期、上宮高校は元木大介(元巨人)、種田仁(元中日、横浜など)を擁して圧倒的な実力でした。浪速高校も大差で負けていましたが、メンタルトレーニングを学んだ子が中心選手になってから善戦するようになり、ときには勝つようにもなりました。そして、私のメンタルトレーニングを入学時から学んだ子の世代が、初めての甲子園の扉を開けてくれたわけです。
この時期から、試合前にはメンタルリハーサルをやっていました。また投手全員にイメージトレーニングをしていました。
メンタルトレーニングは、根性論とは全く違います。ポジティブ発想とストレスや疲れをとることで、自分に自信をつけて持っている力を発揮させるというものです。
当時は練習の前後にやっていました。
91年春に甲子園に出場が決まると、マスコミが取材に来ました。
浪速高校には、野球部専用のグランドはありません。他のクラブと共用の狭いグランドです。
それで甲子園まで進んだことに、マスコミは驚きました。
そこで私は、メンタルトレーニングを紹介しました。今では、トップアスリートはメンタルトレーニングは普通に取り入れていますが、当時は新聞記者ですら「それは何ですか?」と言う感じでした。