育成年代の野球チーム数と競技人口の減少に歯止めがからない。近年、多様な仕掛け作りでファンを熱狂させている日本プロ野球の一方で、日本野球界の底辺を司る育成年代の野球が悲鳴をあげている。
常に世界ランク上位に君臨し、世界の野球の普及・発展という分野においても、どこの国よりも世界野球に貢献してきた日本の野球。国技とも言える独自の野球文化を構築し、野球に携わることを誇りにしてきた日本人。日本野球復活へ、東北から新しいムーブメントが起きている。
*野球復活プロジェクトは、海外での野球経験が豊富な20代のメンバーで構成されており、この他「育成年代の野球離脱者を食い止める」ことを目的に、ベースボール・オンライン・アカデミーの運営も行っている。 URL:https://baseball-online-academy.com
幼児世代が野球を知る入り口として「手頃さ」を追求し、参加費は1回500円、毎週1回(土曜日)実施、手ぶらでの参加が可能、そして保護者会等はないので、毎週参加の義務はなしとした。保護者の皆様には、「幼児ですので家族の時間を最優先して頂き、予定が空いている時間で立ち寄って下さい」と、お願いしている。
また、外国人講師による英語遊びも交え、楽しく行っている。野球を通した「遊びの場」を提供していると言っても過言ではない。これが面白いことに、幼児は言葉の意味ではなく“音で覚える”ようで、1回参加した子が2週間後に参加しても英語の掛け声を覚えていたりする。
私はそこに野球の原点を感じ、この幼児世代からスポーツを楽しむ習慣を身に付けて欲しいと思っている。
こうして生活に自然と野球が溶け込んでいるニカラグアでは、野球人口は増加し、世界ランキングも13位(2018年時点)まで上がってきている。日本と比べたら経済的に劣る国ではあるが、「野球復活のために」学ぶことはある。
また、子どもを持つ親御さんから「遊び方が分からない」「休日の過ごし方が分からない」という相談も多く受けるようになった。このティーボール教室が、遊びの一部として始まり、子ども達の選択肢になること我々は祈っている。
常に世界ランク上位に君臨し、世界の野球の普及・発展という分野においても、どこの国よりも世界野球に貢献してきた日本の野球。国技とも言える独自の野球文化を構築し、野球に携わることを誇りにしてきた日本人。日本野球復活へ、東北から新しいムーブメントが起きている。
*野球復活プロジェクトは、海外での野球経験が豊富な20代のメンバーで構成されており、この他「育成年代の野球離脱者を食い止める」ことを目的に、ベースボール・オンライン・アカデミーの運営も行っている。 URL:https://baseball-online-academy.com
なぜ今ティーボールなのか
私たちは活動を進めていく中で、幼児のスポーツ教室の選択肢に野球がないことに気が付き、各幼稚園へ問い合わせてみた。すると、サッカー教室や体操教室があっても、野球型スポーツを体験する機会はないことが分かった。これ自体が意外な盲点だった。各種少年野球チームが開催するティーボール教室はあるが、どれも低学年向けであった。幼児世代が野球を知る入り口として「手頃さ」を追求し、参加費は1回500円、毎週1回(土曜日)実施、手ぶらでの参加が可能、そして保護者会等はないので、毎週参加の義務はなしとした。保護者の皆様には、「幼児ですので家族の時間を最優先して頂き、予定が空いている時間で立ち寄って下さい」と、お願いしている。
また、外国人講師による英語遊びも交え、楽しく行っている。野球を通した「遊びの場」を提供していると言っても過言ではない。これが面白いことに、幼児は言葉の意味ではなく“音で覚える”ようで、1回参加した子が2週間後に参加しても英語の掛け声を覚えていたりする。
楽しさを追求する理由
私が野球隊員として赴任していたニカラグア共和国では、遊ぶように野球をしている。学校が終わった後、子ども達が家の周りで野球をする。一般的に野球はお金がかかるが、“遊び”で行うことが多い。木の棒がバット、ボールは靴下を何重にも巻いて作ったボールで遊ぶのだ。ニカラグアでは小さな頃から休みの日に家族と野球や他のスポーツを楽しむ習慣があるので、遊びの中で自然と学んでいく。私はそこに野球の原点を感じ、この幼児世代からスポーツを楽しむ習慣を身に付けて欲しいと思っている。
こうして生活に自然と野球が溶け込んでいるニカラグアでは、野球人口は増加し、世界ランキングも13位(2018年時点)まで上がってきている。日本と比べたら経済的に劣る国ではあるが、「野球復活のために」学ぶことはある。
また、子どもを持つ親御さんから「遊び方が分からない」「休日の過ごし方が分からない」という相談も多く受けるようになった。このティーボール教室が、遊びの一部として始まり、子ども達の選択肢になること我々は祈っている。