――野球を引退したあとはどうされていたのですか?
上野 1年間就職浪人しました。この1年で野球以外のことに目を向けられたのは良かったと思います。自分でお金を稼ぐ、ということをしたことがなかったので、銀座でバーテンダーのアルバイトをしました。時給は1200円。お金を稼ぐってこんなに大変な事なのかって思いました。仕送りももらわず、1年間は自分で生活費を稼いで生活していました。
――そして今の会社に内定、就職したのですね。野球が生かされていることがあるとすれば、どんなことでしょうか?
上野 旅行代理店に入社しましたが、旅行に限らず、準備するって大事じゃないですか。こことあそこを手配して、スケジュール管理をするわけですよね。タイムマネージメントをしっかりやることは、野球も同じだと思うんですよ。あとは、礼儀ですね。早実のときは父親の年齢以上のOBも大勢こられていたので、大人と接する機会が多かったんです。今の仕事は旅行業とは別に医師の方と接する仕もあるので、そこでちゃんとしたコミュニケーションがとれるというのが生かされています。「大人慣れ」していない同世代の社員が苦労しているのを見ると、良かったな思いますね。
――仕事で大切にしていることは?
上野 「踏み込んだおせっかい」ですね。これがいまの仕事のモットーです。こっちもわかってるし、向こうもわかっているけど「次こうですよね、ああですよね」っていう、踏み込んだ確認を大事にしています。「知ってるよ!」って言われるんですけど、そこをあえて確認しています。
――これはいま失われつつあることかもしれませんね。「察する」とか「空気を読む」傾向があります。
上野 人と人が仕事する以上、そこは確認しないといけませんね。野球も似ている部分があるかもしれないです。起こりうることに対して、想定、確認をしっかりしておかないといけません。守っていて、打球がイレギュラーすることもありますからね。
――社会に出ると、挨拶も大事ですよね。
上野 はい。意外といないんですよ。ちゃんと挨拶できる人が。一流大学を出ていてもです。きっと挨拶をしっかり身に付ける機会がないままでここまできたのではないでしょうか。
――ケガもありましたが、大学野球をやってよかったですね。
上野 4年間費やすんですから、どうせやるなら、ちゃんとやった方が良いですよ。僕は早稲田の野球が1番好きで、1番野球が楽しいと思える状態で、野球にピリオドが打てたので幸せだったと思います。
――感謝している人は誰ですか?
上野 たくさんいますが、中学の監督、南田勝先生です。最初にきっかけをくれた恩人ですね。それと、もう一人。感謝というか、尊敬している人がいて、中学の1つ下の大谷颯君という後輩です。彼は伊勢崎三中のキャプテンとして、僕らが行けなかった全中に出場したのですが、中3の秋に脊髄梗塞を患い、いま車椅子の生活を送っています。一時は野球から離れていたのですが、車椅子ソフトボールの選手として活動しています。来月はアメリカでの国際大会に参加するそうです。僕はいろんなことを逃げてきましたが、彼はユニホームを着ることを選んだ。僕にはできないです。人生、どこが始まりっていうのはないんですね。颯がいまイキイキしているのを見て良いなって思うし、尊敬しますね。
――上野さんの野球人生。いまとても良い顔をされていますね!
上野 中学時代は群馬の怪童と呼ばれ、中学軟式の逸材と言われ…。って自分で言うなよ、ですよね。アッハッハ。でも、中学時代の経験がそれがあったから、早実にも入れたし、いい仲間にも巡り会えました。いろいろありましたけど「苦しめて」よかったです!