社業と野球の両立、そして高校野球の監督へ
――リクルートの野球部は他の社会人チ-ムと比べて大きく違うところがあったそうですね。
「創部のコンセプトは『仕事をきちんとしながら都市対抗に出よう』ということでした。強豪と呼ばれる企業は社業は午前中だけで午後からは野球というチームが大半なのですが、自分たちは他の社員と同じように定時まで仕事をして、夜に練習という感じでした。飲み会も普通にあって、その後に練習したりもしていましたね。さすがになかなか結果が出なくて、3年目くらいからは練習時間を長くしたのですが、残念ながら都市対抗には出られませんでした」
――社業ではどのような業務を担当されていたのですか?
「自分が配属されたのは『住宅情報』という不動産情報を扱う事業部でした。営業ではなく企画職だったのでいわゆるリクルートの営業という感じではありませんでしたが、待遇は本当に他の社員と同じでしたね」
――社業の面で苦労されたことはありませんでしたか?
「実際の仕事はそこまで辛いと思ったことはありませんでした。ただ当時のリクルートは研修がすごく厳しかったですね。何を答えても否定するような追い込まれ方をするのですが、それはちょっときつかったですね。後は飲み会が多かったのをよく覚えています(笑)」
――その後リクルートからローソンに移られて野球を続けられていますね。
「当時はリクルートもロ-ソンもダイエーグル-プで、リクルートの野球部のメンバーが出向という形でそのままローソンの野球部になったんですね。ただ自分は社会人に入った時に怪我をしてしまって、なかなか思うように結果を残せませんでした。ただ、リクルートの1期生として入部したんだから最後までやり切ろうということで、ローソンの野球部が廃部になるまで続けました。
リクル-トで6年、ローソンで6年の合計12年ですね。これだけやって一度も都市対抗に出られずに、2度廃部を経験しているのも自分くらいじゃないですかね(笑)」
――選手として引退した後、ローソンを退職されて高校野球の監督も経験されていますね。
「野球を引退した後半年くらいは会社に残っていたのですが、昔から指導者をやりたいという気持ちは持っていたので、色んな人に相談したら駿台学園が早稲田出身の指導者を探しているという話をいただきました。待遇もよく、いきなり専任採用というかなり良い条件だったので、ありがたいと思ってすぐ決めました。ただ学校の経営が良くなくて、グラウンドを手放した直後でグラウンドもなかったので、遠征に行くためのバスやウエイト設備なども自分の退職金から立て替えて準備しましたね。最終的に戻ってきましたが」
――そのままずっと高校の監督を続けなかったのはなぜですか?
「学校側で色々とトラブルがあって、その影響もあって監督を外されたというのが大きな理由です。3年半という期間で色々思うところもありましたが、今考えると貴重な経験をしたと思っています。
その後はリクルート時代の上司からお話をいただいて、リクルートキャリアコンサルティングという再就職支援会社に転職しました。本当の意味での社会人経験のスタートはここからですかね。不本意な形で退職された方の再就職を支援して、経験のある人材を探している企業とマッチングさせるビジネスです。ここで11年間働き、2016年8月に今の事業を立ち上げようと独立しました」
――独立しようと思ったきっかけと今の事業について教えていただけますか?
「前職では早期退職制度を利用して退職された方を多く見てきたのですが、少しでもそのような人を少なくしたいと思ったことがきっかけですね。そう考えた時に重要だと思ったのが、就職活動を始める大学3年・4年生よりもっと早い段階で手を打つ必要があると思いました。いい大学に行くとか大学で野球を続けたいということしか考えていない高校生が多いと実感していますが、若いうちからしっかり将来の自分の姿を考えるべきではないかと。
あと自分はずっと野球にかかわってきて、一番得たものは人の繋がりだと思うんですね。リクルートに入ったのも高校の監督になったのも、前の会社に転職したのも野球をしていた縁があったからです。そういう野球にかかわった人のネットワークを広く作りたいという思いがありますね。
具体的にはあらゆる学校の野球部に行って、セミナーや選手個別にアセスメントをしています。それもただその場で終わるのではなく、定期的に何ができるようになったとか、自分の強みは何かとか、前の自分と比べてどこが成長したかといったことを気づかせるものです。その考えには「EQ(Emotional Intelligence Quotient)」という心理面、感情面を重視したポイントがあります。
よく野球しかやってきていないから自分には取り柄がないと自分を否定する学生がいますが、野球を通して成長している面はいっぱいあるんですね。そういうことに気づくことが重要だと思います。あとはパフォーマンス向上のための取り組みなども行っています」
――最後に今野球をやっている学生、これから野球を始めようという子ども、その保護者の方へメッセージをお願いします。
「自分はどうしてもプロ野球選手になりたいという思いで野球を続けてきたわけではありません。それでも続けることで野球界との多くの繋がりが生まれました。
レギュラーじゃないと続けない、試合に出ないとつまらない、などという理由で野球を辞めてしまうのはもったいないことです。続けることで必ず自分にプラスになりますし、その後の人生にも広がりが出てくる。そういう目的も含めてぜひ野球を続けてもらいたいですね」
お忙しいところありがとうございました!
(取材:西尾典文、写真:編集部)
上杉健さんプロフィール
1968年8月24日生まれ。長野県出身。長野県立深志高校から早稲田大学へ進学。4年時には東京六大学春季リーグ優勝、首位打者、ベストナインを獲得。卒業後は株式会社リクルートに入社。住宅情報事業部に配属。業務と並行して野球部でも活躍。野球部休部とともに株式会社ローソン野球部へ移籍。33歳まで野球部に在籍しその後社業へ戻るが、高校野球の監督をするという夢を実現させるべく、学校法人駿台学園にて教員へ転身。教員と高校野球の監督を経験。現在は株式会社GutsCareerSupportを設立し、高校生の年代からのキャリア教育、競技力向上における事業などを行っている。