――その後、県内では評判の投手と言われるようになりましたが、高校からプロ野球というのは考えなかったですか?
長田:高校の時は同じ学年に加納(大祐・専修大→シダックス→松下電器)といういいピッチャーがいて、交互に背番号1をつけているような感じでした。それなりに自信はありましたけど、子どもの頃から父親に東京六大学で野球をやることを目指すように言われていたのでプロは考えなかったですね。ただ当時は今のようにプロ志望届はなかったので、ドラフト会議の当日は監督から一応呼ばれた時の準備はしておくようにとは言われていました。
――慶応大学に進学したのもお父さんから言われたことが理由ですか?
長田:そうですね。六大学でやるならやっぱり早慶戦だろうということで早稲田と慶応を受けました。実は両方とも最初は不合格で、慶応は二次試験で何とか滑り込んだという感じです。早稲田に受かっていたら早稲田に進学していたと思います。
――受験勉強はかなり大変でしたか?
長田:高校野球が終わってからはずっと受験勉強をしていました。AO入試だったので主に小論文なのですが、色んなテーマで何度も書いて先生に添削してもらいました。だから甲子園もそんなにしっかり見ていなかったです。ただ横浜とPL学園の延長17回はいつ終わるのかなと思いながら見ていた記憶はありますね。
――高校時代、松坂投手というのはどんな存在でしたか?
長田:実際に対戦したことは一度もないのですが、2年生の夏までは正直そこまで凄いという印象はなかったです。ただ新チームになってからどんどん凄くなっていって、春の甲子園が終わる頃には雲の上という感じでしたね。3年生の夏の開会式の時は一緒に写真を撮ってもらいました(笑)。
苦労のすえ慶応大学に進学を決めた長田さん。後編では大学生活、プロ野球、そして引退後のことをお伝えします。
(聞き手:西尾典文、写真:編集部)