ニュース 2018.11.15. 18:24

【今、野球と子供は。】軟式、硬式、それぞれの中学野球の歩み

戦後の学制で誕生した「中学校」

戦前、「中学生」に相当する学制は「高等小学校」と「中等学校」になる。中等学校は5年制で、12歳から17歳まで学ぶ。今の中学1年生から高校2年生までの年齢に相当する。
戦前の甲子園大会は「中等学校野球大会」だった。当時の野球少年は今の中学生の年齢で、甲子園に出場することが可能だったのだ。高等小学校に進んだ子供は軟式野球をした。戦前は、本格的に野球をする子供は非常に少なかった。野球はエリートのスポーツだったのだ。
 
戦後、学制が変わって中学校と高等学校が分けられ、「甲子園」は高等学校の大会になる。
この時期から高校以上は「硬式野球」、中学以下は「軟式野球」と、分化が進んだ。
昭和中期まで、中学生の野球と言えば「町内の軟式野球」だった。王貞治は中学時代、町内会が作った野球チーム「厩四ケープハーツ」でプレーしていた時に、生涯の師となる荒川博と出会い、右打ちから左打ちに転向したと言われるが、この「厩四ケープハーツ」も軟式野球チームだった。当時は、学校の部活ではなく、地域のチームでの活動が主だったのだ。
高知県など地方では、軟式よりもソフトボールが盛んな地域もあった。


「部活」としての軟式野球の発展 

中学校の部活で軟式野球が盛んになるのは、1960年代に入ってからだ。東京オリンピックの開催が決定し、中体連(日本中学校体育連盟)が主導して、中学校の体育部活が盛んになったことが背景にある。
当時の中学野球は、生徒の学業への影響や、父母の負担を軽減するため、全国大会が禁止され、当道府県や、関東、近畿などの地域の大会がトップの大会だった。
しかし1979年に全国大会が認可され、全国中学校軟式野球大会が始まると、中学軟式野球の人気は高まった。昭和後期から平成にかけてのプロ野球選手の多くは、この全国中学校軟式野球大会に出場した経験を持っている。
昭和後期には軟式野球部は、男子中学生にとって最も人気のある部活になった。

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