ニュース 2019.01.19. 17:00

履正社の背番号1清水大成「高校、大学を見据えて練習した中学時代」

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中学時代の厳しい練習で鍛えられた心身


憧れは2年前のエースで同じ左腕の寺島成輝(現ヤクルト)。中学時代、甲子園で投げている寺島の動画を何度も見返してきた。「マウンドに立っている時のオーラがすごかった。自分もあんな風に堂々と投げられる投手になりたいと思っていました」。
この秋、その寺島と同じ履正社のエース番号を背負い、近畿大会の初戦・南部戦で最速145キロを計測した。今では近畿圏の好左腕として名を挙げられるまでになったが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

出身は兵庫県丹波市。中学時代はヤングリーグの篠山ベースボールネットワークでプレーしたが、投手として目立った成績を残していた訳ではない。2年時は投手と一塁手を兼任。3年になってから本格的に投手になった。
「中学の時のチームは中学時代に花を咲かせるというより、高校、大学を見据えて厳しい練習するスタイルだったんです。夏休みでも走るメニューとか多くて、ボール回し、ノックと基礎的なメニューをただひたすらこなす感じでした。ハードといえばハードでしたが、あの時に厳しい練習をずっと続けられたことで、心身鍛えられたところはあります」。

大阪桐蔭の”ドライチ”2人といきなり対戦


履正社に入学した当時は、ちょうどチームがセンバツ準優勝した直後。「この前までプレーをテレビで見ていた先輩方がグラウンドにいて、自分はこの中でやっていけるのか不安でした」。
それでも入学直後の5月には実戦デビュー。夏に背番号18でベンチ入りし、2回戦の守口東戦で公式戦初登板も果たした。1年秋は公式戦初登板の試合が準決勝の大阪桐蔭戦。先発投手として藤原恭大(ロッテ1位指名)や根尾昂(中日1位指名)といきなり相対することになった。
「あの時はいつバテてもいいと思うくらい、最初から全力で投げていました。あの大阪桐蔭さんに投げられるのだから、チャレンジャー精神でいくしかないと思って。1番がいきなり藤原さんで、どこに投げても打たれそうでした。実際に打球は速かったですし、打たれた時の場面が今でも3Dでよみがえってくるほどです(笑)」。

それでも気持ちだけは前に向け続けた。初回に1点は失ったものの、変化球を低めに集め二死満塁のピンチで藤原をスライダーで三振に斬って取った。敗れはしたものの、あのマウンドを自信にしていくはずだった。だが、そこから思うような歩みを進めることができなくなった。2年春、チームは4回戦の興国戦は0−4の完封負けをしたが、先発マウンドに立ったのは清水だった。バント処理をミスしてピンチを広げ、適時打を許してしまった試合。敗因は「ピンチで粘れなかったこと」と清水は言うが、それ以上に抱えていた課題がくっきりと浮かび上がる。
「自分は今まで立ち上がりからずっと抑えていても突然崩れてしまうことが多かったんです。1年の秋まではそれでも何とか踏ん張れていたのですが、今年の春からその悪い部分が目立つようになりました。この春以降、自分のせいで負ける試合が何度もあって…。それでも勝ちたいという気持ちだけが先走ってしまっていました」。
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