西谷監督に評価された「向上心の強さ」
今年、2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭。根尾昂(中日1位指名)や藤原恭大(ロッテ1位指名)、柿木蓮(日本ハム5位指名)横川凱(巨人4位)と4人もの選手が今秋のドラフト会議で指名されたが、そんなチームの中心に立ってきたのが主将だった中川卓也だ。
中川は地元・大阪生まれの大阪育ち。幼稚園に通っていた頃、小学校に入ったばかりの3歳上の兄・優(まさし)さん(八戸学院光星でエースとして3度甲子園を経験)が野球チームでプレーしている姿をグラウンドで見ていると、兄の所属しているチームの指導者に声を掛けられた。意気揚々と練習に参加したものの、初日に顔にボールが当たってしまい、鼻血を出してそのまま帰宅するというハプニングが野球人生のスタートだった。
だが、それでも練習はやめなかった。もともと何事にも興味を持つ子供で、小学校時代は野球の他にサッカーや水泳、体操なども習い事として経験している。野球での最初のポジションは意外にも捕手。理由は「小さい時に野球の練習を見に来た時、キャッチャーの道具をずっと眺めていたらしいんです。その道具をつけて野球をやりたかったのかも知れません」。
練習は主に土日だが、大会期間中は土日に試合があるため、平日に練習することも多かった。小学校までは投手と捕手を兼任し、本格的に内野手となったのは中学2年生の時だ。初めて守ったポジションは二塁。そこから三塁や遊撃もこなし、内野はどこでも守れるようになった。
大阪桐蔭の名前は野球をやっている以上、常に意識はしていた。12年の藤浪晋太郎(阪神)、森友哉(西武)を擁して春夏連覇を果たした試合も何度かテレビで見ており、「甲子園で本気で勝ちたいなら大阪桐蔭に行きたい」という気持ちはあった。
練習を見に来てくれた西谷浩一監督の姿を何度か目にしたが、当時は大阪桐蔭に行くことはまだ現実味を帯びていなかったという。その後、「技術も高かったけど向上心が強くて誰よりも上手くなりたいという姿勢が見て取れた」という西谷監督に声を掛けられ晴れて念願の大阪桐蔭の門をくぐったが、同級生の姿を見て驚愕した。