お父さんが野球をしていたこともあり、牧原家の三兄弟は物心ついたころから野球漬けの日々を送っている。兄弟の中でも末っ子の賢汰くんは日の丸を背負い世界大会の舞台を経験した。後編は侍ジャパンU12に選ばれた経緯を中心に話を聞いた。
――三男の賢汰くんが侍ジャパンに選ばれた経緯について聞かせてください。
修平さん「『侍ジャパンU12代表 全日本合同トライアウト』というのがあって、動画を撮影してインターネットから応募しました。軟式野球の日本代表は隔年結成なので次男の時は応募できなかったのですが、長男のときは私がこっそり動画を撮影して応募して書類審査で不合格でした。賢汰のときは書類審査で合格し、2次選考会に進むことができました」
――2次選考会での賢汰くんの様子はどうでしたか?
修平さん「息子よりも見守る僕の方が周囲のレベルの高さに驚いてしまいましたね。身体は大きい、速い球は投げる、バッティングは遠くに飛ばす。賢汰は身長143㎝しかなく、身体能力が高い選手ではありません。正直受かるとは想像もしていませんでした」
美智恵さん「選考会が終わった後、お父さんが『世の中には凄いやつが沢山いる。だから、次のステージで頑張ろうな!』ともう落選したつもりで話しかけていました。そうしたら賢汰が『まだ落ちていないのになんでそんなこと言うんだよ!!』と泣きながら怒ったのを覚えています」
修平さん「代表は15人の狭き門です。ベースランニング、スピードガン、メディシンボール等の基礎体力を計る測定では賢汰に比べ身体能力の高い子が半分以上いましたし、バッティングでは両翼100メートルをワンバウンドで超えてしまう子や投げれば120キロ超の子もいました。そんな子供達の中でまさか日本代表に選ばれるとは思いもしませんでした。ただ、捕球をする能力やスローイングの正確さに関しては本人も自信がある部分なのでアピールできたのかもしれません」
――侍ジャパンの一員となった賢汰くんと共に、お父さんとお母さんも大会開催地の台湾に行かれたそうですね。どんなお気持ちでしたか?
修平さん「未知の世界に初めて踏み出すようなワクワクした心境でしたね。僕は現役時代に『もっと上のレベルを体験してみたかった』と心の中で思っていた部分がありました。ですので息子を通してハイレベルな世界を体験できたのがたまらなく嬉しかったです」
美智恵さん「全国から集まるお父さんお母さんと交流を深めることができたので一生の思い出になりました」
美智恵さん「所属チームではずっとレギュラーでしたが、代表チームでは途中出場が多い役割でした。本人には戸惑いもあったようです」
修平さん「ベンチでどんな風に過ごしているのかスタンドから見ていましたが、何をしていいか分からず落ち着かない様子でしたね。でも、日々のミーティングを重ねていく中で仁志敏久監督から賢汰は印象に残る2つの話をいただいたみたいです。それは『日の丸を背負ってアジアNO.1になる為、試合に出ていない選手には出ていない選手なりの役割がある』という話と『最高の準備をする事』という話です。この2つのお話をいただき、本人も徐々に意識が変わったようです。
ベンチでは自分自身の立ち位置を把握し、控え選手が行うサポートの仕事。途中出場でチームに貢献するための準備を限られた時間で行う事。この2つのことを経験できたのは大きな成長と財産だと思います」
美智恵さん「侍ジャパンから帰ってきてから謙虚になりました。学童のコーチからも『以前に比べ視野が広がった』というありがたいお言葉も頂きました」
修平さん「自分よりも上手い選手がたくさんいる侍ジャパンを経験して、試合に出られない選手の気持ちが分かったのだと思います。そして試合に出られないなりにどうやってチームに貢献できるか、そういったことを学んでくれたのではないでしょうか」
泣きながら父に怒った息子
――三男の賢汰くんが侍ジャパンに選ばれた経緯について聞かせてください。
修平さん「『侍ジャパンU12代表 全日本合同トライアウト』というのがあって、動画を撮影してインターネットから応募しました。軟式野球の日本代表は隔年結成なので次男の時は応募できなかったのですが、長男のときは私がこっそり動画を撮影して応募して書類審査で不合格でした。賢汰のときは書類審査で合格し、2次選考会に進むことができました」
――2次選考会での賢汰くんの様子はどうでしたか?
修平さん「息子よりも見守る僕の方が周囲のレベルの高さに驚いてしまいましたね。身体は大きい、速い球は投げる、バッティングは遠くに飛ばす。賢汰は身長143㎝しかなく、身体能力が高い選手ではありません。正直受かるとは想像もしていませんでした」
美智恵さん「選考会が終わった後、お父さんが『世の中には凄いやつが沢山いる。だから、次のステージで頑張ろうな!』ともう落選したつもりで話しかけていました。そうしたら賢汰が『まだ落ちていないのになんでそんなこと言うんだよ!!』と泣きながら怒ったのを覚えています」
修平さん「代表は15人の狭き門です。ベースランニング、スピードガン、メディシンボール等の基礎体力を計る測定では賢汰に比べ身体能力の高い子が半分以上いましたし、バッティングでは両翼100メートルをワンバウンドで超えてしまう子や投げれば120キロ超の子もいました。そんな子供達の中でまさか日本代表に選ばれるとは思いもしませんでした。ただ、捕球をする能力やスローイングの正確さに関しては本人も自信がある部分なのでアピールできたのかもしれません」
――侍ジャパンの一員となった賢汰くんと共に、お父さんとお母さんも大会開催地の台湾に行かれたそうですね。どんなお気持ちでしたか?
修平さん「未知の世界に初めて踏み出すようなワクワクした心境でしたね。僕は現役時代に『もっと上のレベルを体験してみたかった』と心の中で思っていた部分がありました。ですので息子を通してハイレベルな世界を体験できたのがたまらなく嬉しかったです」
美智恵さん「全国から集まるお父さんお母さんと交流を深めることができたので一生の思い出になりました」
息子の意識が変わった、仁志監督からのことば
美智恵さん「所属チームではずっとレギュラーでしたが、代表チームでは途中出場が多い役割でした。本人には戸惑いもあったようです」
修平さん「ベンチでどんな風に過ごしているのかスタンドから見ていましたが、何をしていいか分からず落ち着かない様子でしたね。でも、日々のミーティングを重ねていく中で仁志敏久監督から賢汰は印象に残る2つの話をいただいたみたいです。それは『日の丸を背負ってアジアNO.1になる為、試合に出ていない選手には出ていない選手なりの役割がある』という話と『最高の準備をする事』という話です。この2つのお話をいただき、本人も徐々に意識が変わったようです。
ベンチでは自分自身の立ち位置を把握し、控え選手が行うサポートの仕事。途中出場でチームに貢献するための準備を限られた時間で行う事。この2つのことを経験できたのは大きな成長と財産だと思います」
美智恵さん「侍ジャパンから帰ってきてから謙虚になりました。学童のコーチからも『以前に比べ視野が広がった』というありがたいお言葉も頂きました」
修平さん「自分よりも上手い選手がたくさんいる侍ジャパンを経験して、試合に出られない選手の気持ちが分かったのだと思います。そして試合に出られないなりにどうやってチームに貢献できるか、そういったことを学んでくれたのではないでしょうか」