一方、入団当時からすべてにおいて他を圧倒していたのが中村宜聖だった。嶋津代表によると「入ってきた時から体が大きく、小学生離れしていた」と、頭ひとつ抜けた存在だったという。
「当時は入団セレクションを行なっていたのですが、技術的項目ですべてトップの成績だったのが中村です。肩もめちゃくちゃ強かった。中村が総合トップで小幡が3位でしたね」
実際に入団してからの中村で印象深いのは「他の追随を許さぬ真面目さだった」と球団幹部は口を揃える。球団の志賀和男会長に証言してもらおう。
「野球に取り組む姿勢が本当に素晴らしかった。とにかく真面目で、全体練習が終わっても黙々とバットを振っているような子でしたね。練習のやり方も自分で考えることができた。これができる子って、中学生では本当に珍しいです」
中村の父は日本文理大監督で、1992年夏の甲子園で優勝した西日本短大付(福岡)の主将だった中村壽博さんだ。そうした家庭環境にも恵まれていたこともあるだろうが、律儀で真面目な性格が育成とはいえ夢のプロ野球への道を切り開いたのだろうと球団スタッフは言うのである。
3人の偉大な明野ボーイズOBたちは、それぞれに異なった立場で新シーズンを迎える。3人の恩師から贈られるエールを糧に、各自の目標達成に向けて頑張ってもらいたい。
「源田君には長打を打てる2番打者を目指してほしい。今の野球は、2番打者に打ってチャンスを広げる、あわよくば返すというような役割を求めている。それに応えられるだけの大きな選手になってほしいですね」(小玉)
「小幡君は早く一軍に上がってほしいのですが、2年後に期待しています。中村君は一日でも早く育成を脱出し、支配下登録選手になってほしい。このふたりが成功するために必要なのは、やはり努力でしょうね」(志賀)
「一見普通の選手に見える子でも、真面目に努力をすれば夢がかなうんだということを3人が証明してくれたと思う。後輩たちの為にも、しっかり結果を残してもらいたい」(嶋津)
(取材/写真:加来慶祐)