■我慢していた肩の痛み
「今思えばなんですけど、小学校時代にピッチャーをしていてけっこうな数を投げていましたね。それに対してストレッチなどのケアを全くしていなかったことが原因なのかもしれません。中学の時も肩に痛みがでるまでは同じような感じでしたね。投げまくって、ケアをしなかったという感じで。中学の野球を引退してから高校に入るまでの期間、ボールを投げる機会も減っていましたし、自然と良くなるだろうと少し甘く思っていて、そこまで深く考えていませんでしたね」
病院で診てもらっても原因は不明。
「筋肉が固まった状態だったので、どこが良くないのか分からくて。痛い部分をかばって投げるようになると、投げ方もおかしくなって悪循環でした。ただ、今思うとあの時に自分がもっと痛いことをアピールして、もっと大事にしていたら……という思いはありますね」
能力が高いがゆえに高校入学直後から試合に出続け、下級生ながら主力を任されればなかなか「肩が痛い」とは言い出しにくい。実際、痛み止めを飲みながら試合に出ることもあったという。結局、治療に専念する時間もないまま、痛みを我慢しながら時は過ぎていった。
そこまでして練習に打ち込んだ2年半。その努力が結実して3年夏には甲子園でベスト4進出。自身も2本のホームランを放つなど大活躍した。高校からのプロ入りを熱望していた峯さんに「志望届を出せば、プロから指名されるのでは」という声もあった。しかし峯さんは大学へ進む道を選んだ。
「甲子園に2回出られましたけど、満足感がなかったというか、自信がなかったんです。でも肩が治れば……という思いはありました」
指導者の勧めもあり大学は日体大へ。ただ、このとき峯さんの肩の状態は既に限界に達していた。
次回:元甲子園球児に聞いた「今の子ども、指導者に伝えたいこと」に続きます。
(沢井史/写真:本人提供)