高校野球時代の投手の酷使が、その後の選手生活にどのような影響を及ぼすのかについて、客観的なデータはない。
しかし、甲子園で多くの球数を投げて奮闘したが、大学、社会人、プロとその後も順調な選手生活を送った選手は少ないのが実情だ。
1991年夏の沖縄代表沖縄水産の大野倫以降、春夏の甲子園で、700球以上投げた投手のプロ野球での実績を見ていこう。
【球数/投手/甲子園大会/プロ(NPB)での実績】
・948球/斎藤佑樹/2006年夏・早実/15勝25敗 防御率4.35
・882球/吉田輝星/2018年夏・金足農/出場なし
・852球/古岡基紀/1998年夏・京都成章/プロ入りせず
・820球/川口知哉/1997年夏・平安/0勝1敗 防御率3.75
・814球/今井重太朗/2014年夏・三重/大学在学中
・783球/島袋洋奨/2010年夏・興南/0勝0敗防御率0.00
・767球/松坂大輔/1998年夏・横浜/114勝64敗 防御率2.99(MLB56 勝43敗 防御率4.45)
・773球/大野倫/1991年夏・沖縄水産/打者転向
・772球/安樂智大/2013年春・済美/5勝14敗 防御率2.99
・766球/吉永健太朗/2011年夏・日大三/プロ入りせず
・742球/福岡真一郎/1994年夏・樟南/プロ入りせず
・708球/正田樹/1999年夏・桐生第一/25勝38敗防御率4.70
(プロ現役選手は2019年6月5日までの成績)
※正田は独立リーグ四国アイランドリーグplusの愛媛で現役続行
1991年夏の甲子園で773球を投げた沖縄水産、大野倫は決勝後右ひじの隔離骨折が発覚し、投手を断念。野手に転向。
1998年夏の甲子園で、優勝投手となった松坂は、この顔ぶれでは唯一、プロで100勝を挙げ、最多勝3度、最優秀防御率2度、最多奪三振3度、新人王、沢村賞。MLB移籍後も56勝を挙げている。しかしながら29歳になる2009年以降、故障が相次ぎ、2011年にアメリカでトミー・ジョン手術を受けた。以後も苦しいマウンドが続いている。
1991年以降、甲子園の一大会で最も多くの球数を投げたのは、2006年夏の早実、斎藤佑樹だった。田中将大を擁する駒大苫小牧と決勝で当たり、延長15回で勝負がつかず、翌日に再試合。斎藤はすべてを一人で投げ切った。「ハンカチ王子」と呼ばれ、人気は沸騰した。
斎藤は早稲田大学に進み、リーグ通算61試合に登板、31勝15敗、防御率1.77、323奪三振、ベストナイン2回の好成績を収め、2010年のドラフトで日本ハムにドラフト1位で入団。1年目は19先発で6勝を挙げ、防御率2.69という成績だったが、結局、現在に至るもこれがキャリアハイになっている。大学時代に股関節を故障、2012年12月に右肩関節唇を損傷、以後も万全ではない状況が続いている。
2010年、興南の左腕島袋洋奨は中央大学では47試合で312回1/3を投げ12勝20敗、防御率2.16、2014年ドラフト5位でソフトバンクに入団するも、1軍出場は2試合だけ。2017年に左肘鏡視下関節内遊離体摘出術を受け、育成契約に。27歳になる今季も再起を期している。
2013年春に2年生で772球を投げた済美の安樂智大は、2014年ドラフト1位で楽天に入団。2年目に15試合に登板して3勝を挙げるも、現在までの通算勝利数は5勝。2019年は開幕からローテの一角を担っていたが、勝ち星を挙げることはできなかった。
2018年夏、882球を投げた金足農の吉田輝星は、この年、ドラフト1位で日本ハムに入団。プロ生活のスタートを切った。
しかし、甲子園で多くの球数を投げて奮闘したが、大学、社会人、プロとその後も順調な選手生活を送った選手は少ないのが実情だ。
1991年夏の沖縄代表沖縄水産の大野倫以降、春夏の甲子園で、700球以上投げた投手のプロ野球での実績を見ていこう。
【球数/投手/甲子園大会/プロ(NPB)での実績】
・948球/斎藤佑樹/2006年夏・早実/15勝25敗 防御率4.35
・882球/吉田輝星/2018年夏・金足農/出場なし
・852球/古岡基紀/1998年夏・京都成章/プロ入りせず
・820球/川口知哉/1997年夏・平安/0勝1敗 防御率3.75
・814球/今井重太朗/2014年夏・三重/大学在学中
・783球/島袋洋奨/2010年夏・興南/0勝0敗防御率0.00
・767球/松坂大輔/1998年夏・横浜/114勝64敗 防御率2.99(MLB56 勝43敗 防御率4.45)
・773球/大野倫/1991年夏・沖縄水産/打者転向
・772球/安樂智大/2013年春・済美/5勝14敗 防御率2.99
・766球/吉永健太朗/2011年夏・日大三/プロ入りせず
・742球/福岡真一郎/1994年夏・樟南/プロ入りせず
・708球/正田樹/1999年夏・桐生第一/25勝38敗防御率4.70
(プロ現役選手は2019年6月5日までの成績)
※正田は独立リーグ四国アイランドリーグplusの愛媛で現役続行
■必ずしも芳しくない「その後」
1991年夏の甲子園で773球を投げた沖縄水産、大野倫は決勝後右ひじの隔離骨折が発覚し、投手を断念。野手に転向。
1998年夏の甲子園で、優勝投手となった松坂は、この顔ぶれでは唯一、プロで100勝を挙げ、最多勝3度、最優秀防御率2度、最多奪三振3度、新人王、沢村賞。MLB移籍後も56勝を挙げている。しかしながら29歳になる2009年以降、故障が相次ぎ、2011年にアメリカでトミー・ジョン手術を受けた。以後も苦しいマウンドが続いている。
1991年以降、甲子園の一大会で最も多くの球数を投げたのは、2006年夏の早実、斎藤佑樹だった。田中将大を擁する駒大苫小牧と決勝で当たり、延長15回で勝負がつかず、翌日に再試合。斎藤はすべてを一人で投げ切った。「ハンカチ王子」と呼ばれ、人気は沸騰した。
斎藤は早稲田大学に進み、リーグ通算61試合に登板、31勝15敗、防御率1.77、323奪三振、ベストナイン2回の好成績を収め、2010年のドラフトで日本ハムにドラフト1位で入団。1年目は19先発で6勝を挙げ、防御率2.69という成績だったが、結局、現在に至るもこれがキャリアハイになっている。大学時代に股関節を故障、2012年12月に右肩関節唇を損傷、以後も万全ではない状況が続いている。
2010年、興南の左腕島袋洋奨は中央大学では47試合で312回1/3を投げ12勝20敗、防御率2.16、2014年ドラフト5位でソフトバンクに入団するも、1軍出場は2試合だけ。2017年に左肘鏡視下関節内遊離体摘出術を受け、育成契約に。27歳になる今季も再起を期している。
2013年春に2年生で772球を投げた済美の安樂智大は、2014年ドラフト1位で楽天に入団。2年目に15試合に登板して3勝を挙げるも、現在までの通算勝利数は5勝。2019年は開幕からローテの一角を担っていたが、勝ち星を挙げることはできなかった。
2018年夏、882球を投げた金足農の吉田輝星は、この年、ドラフト1位で日本ハムに入団。プロ生活のスタートを切った。