伊藤「自分も習い事は何もやっていなかったです。小学校のときは、週3回が野球チームの練習で他の日は友達の家などで普通に遊んでいました。屋外での遊びはバトミントンとか、鬼ごっこ。家の中ではゲームもしました。食事については6歳上の兄に対抗して、めっちめちゃご飯を食べていたのを覚えています。兄に負けたくなったんだと思います(笑)。4年生のころまですごく太っていて、5、6年のときにセカンドからキャッチャーに転向。高学年になって運動量が増えて、だんだんと痩せてきました」
岩手と秋田。家は離れていても「楽天イーグルスジュニア」でバッテリーを組み、私生活でも親しくなった二人は中学校の部活について相談し合うようになりました。二人ともはじめは硬式クラブチームを考えていたそうですが、全国大会の常連校「仙台育英学園秀光中等教育学校(以下秀光中)」で中学軟式野球をすることを決意します。先に笹倉投手が決意し、伊藤投手が「せなと一緒にやりたい」と続いたそうです。二人に聞くと「軟式を選んだことに不安は全くなかった」と。全国で優勝1回、準優勝1回の実績を持つ須江航監督(当時)の評判を聞き、寮生活を送りながら高いレベルの野球を学びたい――。そんな決意が芽生えていました。
この選択に二人は「軟式を選んで100%良かった」と言います。その理由とは?
(取材・写真:樫本ゆき)
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