保護者が子どもの将来に対して、過度に期待することも大きな危険を伴います。
例えば、野球でどこまで行けるかという生き方を子どもに選ばせてしまうと、高校や大学を選択する際にも、野球がすべての基準となり、勉強がおろそかになった結果、将来の可能性や選択肢を狭めてしまう危険性は十分に認識しなければいけません。
実際に夢が叶ってプロ野球選手になれればよいですが、大学卒業後に野球を続けられなくなったとき、勉強や考える習慣がないとなると、困るのは子ども自身です。このような子どもの可能性や選択肢を狭める行為を、保護者だけでなく、各年代の指導者まで含めてやってしまっているところに野球界の問題があると思います。
もちろん、親子そろって「野球一本でやっていく」と腹を括るのも一つの選択肢ですから、真っ向から否定するつもりはありません。しかし、どこかで明確に子離れしなければ、子どもの本当の自立を促すことはできないでしょう。もし自分で何も決めないまま、年齢だけが大人になってしまうと、社会に出てもうまくいくはずがありません。例えば会社で何らかの試練があったときに、自分なりの解決策や、自分の行動に対する責任が持てず、挙げ句に上司や同僚に責任をなすりつけ、少しきついことを言われただけで「パワハラだ」と訴えるような大人になりかねないと思います。だからこそ、部活動を通して、適度にきついことを言われたり、適度に嫌な経験をしたり、挫折したりすることは絶対に必要です。
理不尽や挫折、人間関係。教室では教われないことが、グラウンドにはたくさんあります。体罰はいけないにせよ、これらをすべて否定して、何をしてもパワハラだと言われてしまえば指導者側は萎縮せざるを得ませんし、選手も社会に出てからの荒波を渡っていけなくなります。
学校に行く時期は社会に出るための準備期間です。それを小学生は小学生なりに、高校生は高校生なりに経験しておかなければ、いきなり大きな海を泳ぐことはできません。難しいことではありますが、適度に厳しいこと、適度にうまくいかないこと、適度に挫折することを経験させてあげるのが、部活指導の務めであると自覚しています。
(『Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す"野球を通じて引き出す価値"』森林貴彦監督/東洋館出版社)
森林貴彦
慶應義塾高校野球部監督。慶應義塾幼稚舎教諭。
1973年生まれ。慶應義塾大学卒。大学では慶應義塾高校の大学生コーチを務める。卒業後、NTT勤務を経て、指導者を志し筑波大学大学院にてコーチングを学ぶ。慶應義塾幼稚舎教員をしながら、慶應義塾高校コーチ、助監督を経て、2015年8月から同校監督に就任。2018年春、9年ぶりにセンバツ出場、同年夏10年ぶりに甲子園(夏)出場を果たす。