新型コロナ禍では、アマチュア野球界も大きなダメージを受けた。選手も指導者も「野球ができない」現実に直面した。そんな中で「野球好き」の高校生、大学生をつくるために懸命に奮闘していた兄弟がいる。
弟の山口裕士は22歳。こちらも郡山高校でプレーした。ポジションは捕手。大学は奈良教育大に進み現在4回生。しかし弟も兄同様、選手としては3回生の秋で引退。学生監督になった。大学に野球経験のある指導者がいなかったからだが、同時に指導者として選手に向き合いたいという気持ちも強かった。
「僕は高校時代、甲子園に出るような強豪校とも対戦しましたが、奈良教育大にくる選手の中には、真剣勝負の経験がない子も多かった。練習の仕方も、試合に臨む気持ちも全然できていなかった。そういう部分を教えて、卒業してからも野球を続けてほしいと思ったんです」
練習でもテーマを設けて楽しみながらも基礎が身につく方法を考案したりもした。
しかし昨年の新型コロナ禍で、活動は大幅に制限された。
「高校と違って大学は他府県から集まっています。キャンパスに学生を集めたらクラスターができる恐れがあります。
教育大学にとって、教育実習は一番重要ですが、大学から一人でも感染者が出てしまったら、実習に学生を派遣できなくなります。だから野球部の活動もストップになりました。
練習は近くの公園で2~3人でキャッチボールをするくらいしかできなくなりました。
1回目の緊急事態宣言が解除になって、9月から大学リーグ戦が始まりましたが、うちは大学の許可もおりそうにないので辞退しました」
結局、学生監督としてチームに采配を振るう機会はないままに終わってしまった。選手たちも動揺している。
「野球がしたくて来た子が結構多いので、将来に不安を覚えるメンバーもいますね。野球ができない現実から切り替えることができないまま3回生になった子もいます。
これは高校でも大学でもいえることですが、強豪校の中には甲子園での大会ができなくなっても、練習をしているところがあります。環境を整えているのでしょうが、そういう学校とうちのように『感染症対策第一』で試合も練習もストップした学校との差は大きく開いてしまいます。
もともと教育大学では、大学側も部活のメリットを感じていない印象です。スポーツ推薦もありませんし、存在意義を認めてもらっていない。
そういう部分を何とかしたいという思いを強く持っています」
学生監督としては采配を振るえなかったが、教えることで選手を強くしたい弟
弟の山口裕士は22歳。こちらも郡山高校でプレーした。ポジションは捕手。大学は奈良教育大に進み現在4回生。しかし弟も兄同様、選手としては3回生の秋で引退。学生監督になった。大学に野球経験のある指導者がいなかったからだが、同時に指導者として選手に向き合いたいという気持ちも強かった。
3年秋から学生監督に、しかし野球はできず
「僕は高校時代、甲子園に出るような強豪校とも対戦しましたが、奈良教育大にくる選手の中には、真剣勝負の経験がない子も多かった。練習の仕方も、試合に臨む気持ちも全然できていなかった。そういう部分を教えて、卒業してからも野球を続けてほしいと思ったんです」
練習でもテーマを設けて楽しみながらも基礎が身につく方法を考案したりもした。
しかし昨年の新型コロナ禍で、活動は大幅に制限された。
「高校と違って大学は他府県から集まっています。キャンパスに学生を集めたらクラスターができる恐れがあります。
教育大学にとって、教育実習は一番重要ですが、大学から一人でも感染者が出てしまったら、実習に学生を派遣できなくなります。だから野球部の活動もストップになりました。
練習は近くの公園で2~3人でキャッチボールをするくらいしかできなくなりました。
1回目の緊急事態宣言が解除になって、9月から大学リーグ戦が始まりましたが、うちは大学の許可もおりそうにないので辞退しました」
結局、学生監督としてチームに采配を振るう機会はないままに終わってしまった。選手たちも動揺している。
感染症対策第一はやむなし、しかし
「野球がしたくて来た子が結構多いので、将来に不安を覚えるメンバーもいますね。野球ができない現実から切り替えることができないまま3回生になった子もいます。
これは高校でも大学でもいえることですが、強豪校の中には甲子園での大会ができなくなっても、練習をしているところがあります。環境を整えているのでしょうが、そういう学校とうちのように『感染症対策第一』で試合も練習もストップした学校との差は大きく開いてしまいます。
もともと教育大学では、大学側も部活のメリットを感じていない印象です。スポーツ推薦もありませんし、存在意義を認めてもらっていない。
そういう部分を何とかしたいという思いを強く持っています」