4年前、ヤキュイクでも取材・紹介した埼玉県の浦和ボーイズ。この度中山典彦監督が『全員補欠 全員レギュラー 少年野球界の常識を覆す育成指導論』(竹書房)という本を出されました。今回はこの本の第三章「中山流指導論」の中の一部をご紹介させていただきます。日頃の指導の参考にされてみてください。
うちでは選手たちに絶対に無理はさせません。また、選手自身に「自分の体は自分で管理できるようになりなさい」とも伝えています。自分の体が限界に近いと感じたら、練習を勝手に外れていい。これが浦和ボーイズの決まりです。
うちの指導者たちは、選手が練習を途中で外れても「何やってるんだ」とは言いません。水を飲みに行くのも自由です。選手たちも途中で外れることをお互いに認め合っているので、「さぼるなよ」とか「途中で抜けてずるいな」という思考にもなりません。
一昔前であれば、うちのようなやり方は甘いとされ、「そんなやり方をしていたら選手の根性が付かない」と言う指導者がたくさんいたと思います。でも、きつい練習をたくさんさせれば根性が付く、無理をさせれば根性が付くという考え方は、これからの時代は改めていかなければなりません。
心の弱さは自分の甘えからきます。その甘えをなくすには、子供たちの心を自立させ、何事も継続していくことが大切なのだと教えていく必要があります。
だから、私は選手たちにこう言い続けています。
「家に帰ったら、まず玄関の靴を全部きれいに並べなさい」
「弁当箱は自分で洗いなさい」
「汚くなったユニフォームは、下洗いしてから洗濯機に入れなさい」
「野球道具はすべてきれいに磨きなさい」
選手たちはまだ中学生ですから、私の言っていることすべてを継続するのはなかなか難しいと思います。だから私も、選手たちを追い詰めるような指導はしません。ただ、選手たちに少しでも早く自立してほしいので、先に挙げたことを言い続けています。
以前、こんな教え子がいました。その選手は練習で手抜きの目立つ子でしたが、「ちゃんとやれ」というと「ちゃんとやってる!」と逆ギレしてくるような性格でした。するとある時、会長の宍戸が「あいつにとってはこれが限界なんだろ。だから、手抜きに見えたとしても、もうこれからは放っておこう」と言ってきました。私も「そうだね」と同意し、以降その子が手抜きをしているように見えても、それを指摘することはやめました。
その選手は、そのまま茨城の強豪私学に進みました。そして、レギュラーにはなれませんでしたが、3年間野球部のきつい練習を最後までやり遂げて卒業しました。
今でも宍戸と「あの時、俺たちが『ちゃんとやれ』『うそついてんじゃねえ』と追い詰めていたら、彼は野球が嫌いになって途中でやめていたかもしれないね」とよく話をします。選手を壊すというのは、肉体的な問題だけではなく、精神的に壊してしまうこともあります。私たち指導者はかつてあった根性論は捨て去り、未来のある選手たちの心身を壊さないよう、その限界がどこにあるのかを見定めながら指導をしていかなければいけません。
浦和ボーイズは、あくまでも高校野球につなげるためのクラブチームです。当然勝つことを目指していますが、試合に勝つことだけが目的ではなく、勝つために何が必要なのかを選手たちが考えられるようになることを目的としています。
私たちが実践している野球は、選手たちに「自立」と「自律」を求める野球です。そこに根性論など必要ありません。そのことにひとりでも多くの指導者が気付けば、日本の野球界も少しずつ変わっていくような気がします。
『全員補欠 全員レギュラー 少年野球界の常識を覆す育成指導論』(中山典彦/竹書房)より
【中山典彦(なやかまのりひこ)】
1965年5月28日生。東京都出身。東北高校では2年春、2年夏、3年春と3季連続で甲子園に出場。2年秋には明治神宮大会で優勝を果たす。東北高校卒業後は中央大学に進み、硬式野球部で4年間を過ごす。その後、飲食業界を経て2008年、高校時代の同期である宍戸鉄弥氏とともに浦和ボーイズを設立。「親の当番や係なし」「父母会なし」「各学年でチームを組み、全選手を試合に出場させる」「みんなで同じ練習を行う」「練習時間は短く、あえて9時集合」など少年野球界の常識を覆すチーム運営で注目を浴び、2010年以降、部員数が1学年25名を下回ったことがない。またこういった運営方針が評価され、2019年、2020年と2年連続で『ベストコーチングアワード』の最高位である三ツ星を受賞。2021年秋の時点での部員数は2年生60名、1年生50名。初の全国大会出場へ向け、100名を超える選手たちが現在も精力的に活動中。
■第1章 浦和ボーイズ誕生~楽しくやって何が悪い~
心臓の病が発覚~野球に救われた命~/最初は部員4人からスタート~楽しくやって何が悪い~/私は落ちこぼれ~自分らしく生きる~ ほか
■第2章 私の野球人生は東北高校から始まった~恩師・竹田利秋先生との運命的な出会い~
2年秋から負け知らずでセンバツに出場/投げるイップスだけでなく、打つイップスも経験/私にとって必要だった「大学時代の失敗」 ほか
■第3章 中山流指導論~指導者は選手の見本であれ~
負けていいじゃないか~負け癖が付く、付かないは指導者次第~/本気で叱る、本気でほめる/根性論はもういらない~日々の生活での継続こそが大切~ ほか
■第4章 なぜ浦和ボーイズには選手が集まるのか?~私たちのチーム運営方法~
父母会はないが、全選手を我が子だと思ってほしい/各学年でチームを組む/行きたい高校に進むには学校の勉強もしっかりと ほか
■第5章 どこに進学しても通用する選手になる練習
長時間練習はいらない~選手の体の成長が第一~/正しい投げ方は言葉で説明せず、体で覚えさせる~浦和ボーイズのキャッチボール~ ほか
■第6章 これからの中学野球を考える
中学時代は引き出しを増やす時期/指導者こそ、レベルアップしよう~野球は、人生をよくするための手段である~/いいチームを見分けるポイント ほか
根性論はもういらない ~日々の生活での継続こそが大切~
うちでは選手たちに絶対に無理はさせません。また、選手自身に「自分の体は自分で管理できるようになりなさい」とも伝えています。自分の体が限界に近いと感じたら、練習を勝手に外れていい。これが浦和ボーイズの決まりです。
うちの指導者たちは、選手が練習を途中で外れても「何やってるんだ」とは言いません。水を飲みに行くのも自由です。選手たちも途中で外れることをお互いに認め合っているので、「さぼるなよ」とか「途中で抜けてずるいな」という思考にもなりません。
一昔前であれば、うちのようなやり方は甘いとされ、「そんなやり方をしていたら選手の根性が付かない」と言う指導者がたくさんいたと思います。でも、きつい練習をたくさんさせれば根性が付く、無理をさせれば根性が付くという考え方は、これからの時代は改めていかなければなりません。
心の弱さは自分の甘えからきます。その甘えをなくすには、子供たちの心を自立させ、何事も継続していくことが大切なのだと教えていく必要があります。
だから、私は選手たちにこう言い続けています。
「家に帰ったら、まず玄関の靴を全部きれいに並べなさい」
「弁当箱は自分で洗いなさい」
「汚くなったユニフォームは、下洗いしてから洗濯機に入れなさい」
「野球道具はすべてきれいに磨きなさい」
選手たちはまだ中学生ですから、私の言っていることすべてを継続するのはなかなか難しいと思います。だから私も、選手たちを追い詰めるような指導はしません。ただ、選手たちに少しでも早く自立してほしいので、先に挙げたことを言い続けています。
以前、こんな教え子がいました。その選手は練習で手抜きの目立つ子でしたが、「ちゃんとやれ」というと「ちゃんとやってる!」と逆ギレしてくるような性格でした。するとある時、会長の宍戸が「あいつにとってはこれが限界なんだろ。だから、手抜きに見えたとしても、もうこれからは放っておこう」と言ってきました。私も「そうだね」と同意し、以降その子が手抜きをしているように見えても、それを指摘することはやめました。
その選手は、そのまま茨城の強豪私学に進みました。そして、レギュラーにはなれませんでしたが、3年間野球部のきつい練習を最後までやり遂げて卒業しました。
今でも宍戸と「あの時、俺たちが『ちゃんとやれ』『うそついてんじゃねえ』と追い詰めていたら、彼は野球が嫌いになって途中でやめていたかもしれないね」とよく話をします。選手を壊すというのは、肉体的な問題だけではなく、精神的に壊してしまうこともあります。私たち指導者はかつてあった根性論は捨て去り、未来のある選手たちの心身を壊さないよう、その限界がどこにあるのかを見定めながら指導をしていかなければいけません。
浦和ボーイズは、あくまでも高校野球につなげるためのクラブチームです。当然勝つことを目指していますが、試合に勝つことだけが目的ではなく、勝つために何が必要なのかを選手たちが考えられるようになることを目的としています。
私たちが実践している野球は、選手たちに「自立」と「自律」を求める野球です。そこに根性論など必要ありません。そのことにひとりでも多くの指導者が気付けば、日本の野球界も少しずつ変わっていくような気がします。
『全員補欠 全員レギュラー 少年野球界の常識を覆す育成指導論』(中山典彦/竹書房)より
【中山典彦(なやかまのりひこ)】
1965年5月28日生。東京都出身。東北高校では2年春、2年夏、3年春と3季連続で甲子園に出場。2年秋には明治神宮大会で優勝を果たす。東北高校卒業後は中央大学に進み、硬式野球部で4年間を過ごす。その後、飲食業界を経て2008年、高校時代の同期である宍戸鉄弥氏とともに浦和ボーイズを設立。「親の当番や係なし」「父母会なし」「各学年でチームを組み、全選手を試合に出場させる」「みんなで同じ練習を行う」「練習時間は短く、あえて9時集合」など少年野球界の常識を覆すチーム運営で注目を浴び、2010年以降、部員数が1学年25名を下回ったことがない。またこういった運営方針が評価され、2019年、2020年と2年連続で『ベストコーチングアワード』の最高位である三ツ星を受賞。2021年秋の時点での部員数は2年生60名、1年生50名。初の全国大会出場へ向け、100名を超える選手たちが現在も精力的に活動中。
【目次】
■第1章 浦和ボーイズ誕生~楽しくやって何が悪い~
心臓の病が発覚~野球に救われた命~/最初は部員4人からスタート~楽しくやって何が悪い~/私は落ちこぼれ~自分らしく生きる~ ほか
■第2章 私の野球人生は東北高校から始まった~恩師・竹田利秋先生との運命的な出会い~
2年秋から負け知らずでセンバツに出場/投げるイップスだけでなく、打つイップスも経験/私にとって必要だった「大学時代の失敗」 ほか
■第3章 中山流指導論~指導者は選手の見本であれ~
負けていいじゃないか~負け癖が付く、付かないは指導者次第~/本気で叱る、本気でほめる/根性論はもういらない~日々の生活での継続こそが大切~ ほか
■第4章 なぜ浦和ボーイズには選手が集まるのか?~私たちのチーム運営方法~
父母会はないが、全選手を我が子だと思ってほしい/各学年でチームを組む/行きたい高校に進むには学校の勉強もしっかりと ほか
■第5章 どこに進学しても通用する選手になる練習
長時間練習はいらない~選手の体の成長が第一~/正しい投げ方は言葉で説明せず、体で覚えさせる~浦和ボーイズのキャッチボール~ ほか
■第6章 これからの中学野球を考える
中学時代は引き出しを増やす時期/指導者こそ、レベルアップしよう~野球は、人生をよくするための手段である~/いいチームを見分けるポイント ほか