人間・選手育成論を掲げ、春5回、夏5回の甲子園出場を果たし、史上最年少の三冠王・村上宗隆をはじめ通算14人のプロ野球選手を輩出した九州学院前監督、坂井宏安氏。そんな坂井氏の書籍『九州学院を強豪校に導いた 友喜力』から一部を紹介します。
村上宗隆は、たとえ怒られても素直に「すみません」と言える子である。怒られた時に、ウジウジしているだけでは、結果的に悔いの残る結果に終わることも多いが、村上は後悔するということがなかった。「あぁ、失敗した。やっぱりダメだったか」と素直に反省できるから、素直に「すみませんでした」と言える。大会中に一度だけ、私が注意したことに対して「自分だって必死に頑張っているんですよ!」と反抗してきたことがあったが、その後すぐに「すみませんでした」と謝ってきた。反省するから、どんどん次の段階へも進んでいける。だから彼は、プロ1年目から経験のないサードを守ることができたのだ。
そんな村上の性格は、ご家庭のしつけ、教育方針によって形成されたものである。彼のご両親は、学校や野球に関するすべてのことを、私たちに任せてくれた。息子があれだけ注目されながら、表に出てこようともしなかった。それは、息子が超一流のプロ野球選手となった今も変わらない。
私たちにすべてを委ねてくれていたので、私たちが村上を叱っても「そんなことを言う宗隆が悪い。怒られて当然だ」と言うご両親だった。そして「そんなお前を、先生方は可愛がってくれているじゃないか。お前のために言ってくれたんだぞ」と諭してくれるご両親でもあった。「先生に怒られただと!? 文句を言ってやる」という親御さんであれば、学校側としては指導したくても指導できなくなる。また、教育現場に長年携わってきた経験からすると、そういう方ほど「学校側は何もしてくれない」と言ってくる傾向にある。村上の家庭はその真逆だった。
だから村上という生徒は「叱りやすい、怒りやすい子」だったのである。野球部内だけでなく、学校生活においても他の運動部の先生方やOBがいつも気にかけてくれて、必要な時には遠慮なく叱ってくれた。つまり、大人が物を言いやすい子供だったのだ。だから、村上のようによく怒られる子ほど、じつは手がかからないものである。
そして、村上自身が「すみません」と頭を下げることができる性格で、言葉もハキハキしていたため、すべての先生方をはじめ、あらゆる大人から可愛がられた。そして後輩たちからも好かれ、グラウンド内では下級生が「ムネさん! これやっておいて」といったような言葉が飛び交っていた。だから、決して私ひとりが村上宗隆という人間を育てたのではない。そのことを、あらためて強調しておきたい。
なお、村上が野球を始めた時、もともとは右利きの村上に「左の方がいいんじゃない?」という助言を送ったのが父・公弥さんだった。最初に両方で振らせてみたところ、スムーズにスイングできていたのが左で、右は不格好に映ったらしい。最初から左バッターにしたくて左打ちにさせたのではなく、見た目上の理由で左バッターとなったそうだ。そんな父のさりげないアドバイスを聞き入れ、初めて左打席に立った瞬間こそが、三冠ロードのスタート地点だと言っていいだろう。
『九州学院を強豪校に導いた 友喜力』
坂井宏安 (著)
竹書房
2023年3月3日発売/1760円
村上は“叱りやすい”生徒だった
村上宗隆は、たとえ怒られても素直に「すみません」と言える子である。怒られた時に、ウジウジしているだけでは、結果的に悔いの残る結果に終わることも多いが、村上は後悔するということがなかった。「あぁ、失敗した。やっぱりダメだったか」と素直に反省できるから、素直に「すみませんでした」と言える。大会中に一度だけ、私が注意したことに対して「自分だって必死に頑張っているんですよ!」と反抗してきたことがあったが、その後すぐに「すみませんでした」と謝ってきた。反省するから、どんどん次の段階へも進んでいける。だから彼は、プロ1年目から経験のないサードを守ることができたのだ。
そんな村上の性格は、ご家庭のしつけ、教育方針によって形成されたものである。彼のご両親は、学校や野球に関するすべてのことを、私たちに任せてくれた。息子があれだけ注目されながら、表に出てこようともしなかった。それは、息子が超一流のプロ野球選手となった今も変わらない。
私たちにすべてを委ねてくれていたので、私たちが村上を叱っても「そんなことを言う宗隆が悪い。怒られて当然だ」と言うご両親だった。そして「そんなお前を、先生方は可愛がってくれているじゃないか。お前のために言ってくれたんだぞ」と諭してくれるご両親でもあった。「先生に怒られただと!? 文句を言ってやる」という親御さんであれば、学校側としては指導したくても指導できなくなる。また、教育現場に長年携わってきた経験からすると、そういう方ほど「学校側は何もしてくれない」と言ってくる傾向にある。村上の家庭はその真逆だった。
だから村上という生徒は「叱りやすい、怒りやすい子」だったのである。野球部内だけでなく、学校生活においても他の運動部の先生方やOBがいつも気にかけてくれて、必要な時には遠慮なく叱ってくれた。つまり、大人が物を言いやすい子供だったのだ。だから、村上のようによく怒られる子ほど、じつは手がかからないものである。
そして、村上自身が「すみません」と頭を下げることができる性格で、言葉もハキハキしていたため、すべての先生方をはじめ、あらゆる大人から可愛がられた。そして後輩たちからも好かれ、グラウンド内では下級生が「ムネさん! これやっておいて」といったような言葉が飛び交っていた。だから、決して私ひとりが村上宗隆という人間を育てたのではない。そのことを、あらためて強調しておきたい。
なお、村上が野球を始めた時、もともとは右利きの村上に「左の方がいいんじゃない?」という助言を送ったのが父・公弥さんだった。最初に両方で振らせてみたところ、スムーズにスイングできていたのが左で、右は不格好に映ったらしい。最初から左バッターにしたくて左打ちにさせたのではなく、見た目上の理由で左バッターとなったそうだ。そんな父のさりげないアドバイスを聞き入れ、初めて左打席に立った瞬間こそが、三冠ロードのスタート地点だと言っていいだろう。
書籍情報
『九州学院を強豪校に導いた 友喜力』
坂井宏安 (著)
竹書房
2023年3月3日発売/1760円