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プロ注目の遊撃手が今も感謝する、少年野球時代の親のサポート|半田南十(日大藤沢)

これまで多くの逸材を見てきた山本秀明監督も認める、プロ注目のショート半田南十選手。強豪・日大藤沢で1年夏からレギュラーを張る半田選手に、野球を始めたきっかけや少年野球時代などを振り返ってもらいました。


小学校で芽生えた親への感謝の気持ち

7歳上の兄がやっていた影響で小学校1年のときにチームに入りました。

土日は朝〜夕方まで。夏は9時から19時くらいまでやっていました。日が暮れるまでやるチームで夏休みは平日練習も二回ありました。

YBBL大会という横浜市内の210チームくらいが参加する大会で春は3番でエース優勝して秋も3位になるくらい強かったですね。

ありました。2年生で野球肘になってしまって半年くらい投げられなくて、そのときは家からグラウンまで遠いし、行っても練習があんまりできないしということでモチベーションが落ちているときはありました。でも練習が厳しいとか監督が怖いとかそういう理由で行きたくないなとかは思ったことはなかったです。その頃からプロ野球選手になりたいという目標があったので、やるしかないという感じでした。

家は横浜市の緑区だったのですがチームは南区にあって車で40分くらいかかっていました。毎回親に送ってもらっていました。

母親には毎回お弁当も作ってもらっていましたし、土曜の練習から帰ってきたら直ぐに洗濯をしてもらったり。父親は消防士なのですが時には勤務明けなのにそのまま寝ないでグラウンドまで送ってくれてコーチの手伝いをしてくれたり。平日も学校から帰ったら自転車で10分くらいの場所に父と母と行って、キャッチボールをしてノックをして、バッティングをして、ダッシュをして。父は日大藤沢のバレーボール部OBで野球経験者ではないのですが、色々と練習メニューとかも調べてくれて。本当に負担をかけていたと思いますが、「プロ野球選手になりたい」と親にも話していたので、それで一生懸命サポートしてくれたのだと思います。小学生ながらに野球を頑張らないといけないという原動力にもの凄くなりましたし、もの凄く感謝しています。

褒めて伸ばすという感じでもないのですが、怒られたことはありません。

兄と姉は凄く勉強ができたのですが、自分は本を読むよりも公園で遊ぶ方が好きなタイプだったので、親から勉強しなさいとかは特に言われたことはありません。親も「この子はスポーツの道で頑張った方が良い」と考えたらしいです。だから勉強ができない分野球を頑張るしかなかったです(笑)。