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後悔の言葉「お前ら何やってんだよ!」|日大三前監督・小倉全由(甲子園優勝監督の失敗学)

甲子園優勝を成し遂げた名将たち。その道程には失敗や後悔、苦い敗戦があった——。昨年発売された『甲子園優勝監督の失敗学』(KADOKAWA)の中から、少年野球の指導者の方にも参考となる部分を抜粋して紹介します。今回はU-18野球日本代表・小倉全由監督(前日大三監督)の章の一部を紹介します。
<後悔の言葉「お前ら何やってんだよ!」>
日本一になっても、監督を続けている限り、戦いは終わらない。
もうひとつ、小倉監督が「忘れられない敗戦。選手たちに申し訳ない」と頭を下げるのが、近藤一樹(元ヤクルトなど)や都築克幸(元中日)らを擁して夏の全国制覇を果たした翌2002年夏の西東京大会の準決勝だ。
圧倒的な打力を見せた前年とは違い、技巧派左腕・清代渉平と松永太輔のバッテリーを中心に、守り勝つ野球が持ち味だった。秋の都大会では接戦をモノにして、センバツ出場を遂げると、センバツでは優勝を果たす報徳学園に2対3の惜敗。〝甲子園連覇〞がかかっていた夏は、準々決勝で難敵の東海大菅生を6対5で下し、ベスト4までたどり着いた。
準決勝の相手は、前評判の高い日大鶴ヶ丘だった。初回に幸先よく2点を先制するも、6回裏に同点に追いつかれ、最後は延長10回サヨナラ負けを喫した。
「接戦を勝ってきたチームで、それが特徴であるはずなのに、準決勝の試合中に『何でこんなピッチャーが打てねぇんだよ。お前ら、何やってんだよ!』と言ってしまったんですよね。日本一を獲ったあとの年で、全員で優勝旗を返さないといけないと、自分自身が思いすぎていた。主力の清代や野崎(将嗣)、幸内(正平)が試合前から体調が悪くて、吐いてしまうほどでした。精神的にきつかったんでしょうね。それなのに、監督がまたプレッシャーをかけてしまって……。打力のチームではないのに、『お前ら何やってんだ!』なんて言ったら、もっと打てなくなりますよね。冷静に考えれば、それはわかります」
経験を重ねた今であれば、どんな声をかけるか。
「お前らのペースだな。秋も点が取れない中で勝ったもんな」
あのときは、「〝強打こそが三高の野球〞という理想像があった」と悔いる。
「学年によって、そのチームの色というか、ペースがあるじゃないですか。清代のときは、
競っていきながら、最後に1点勝ち越すのがペースだった。それを、自分の言葉で崩してしまって、申し訳ないことをしました」
2001年に日本一を果たしたときの戦い方を、次の代にも求めてしまった。「優勝旗を返す」というミッションは、それだけ重たいことなのであろう。それこそ、日本一を果たしたチームしか経験することができない、特別なものだ。
2011年は、主将・畔上翔(Honda鈴鹿)、エース・吉永健太朗、主砲・髙山俊(新潟アルビレックス)、横尾俊健(楽天二軍打撃コーチ)らが引っ張り、二度目の全国制覇。その翌月、新チームは9月のブロック予選で郁文館に2対4で敗れる苦難のスタートだった。甲子園の余韻に浸っている時間など、ほぼない。
負けからどう立ち上がるか。
小倉監督が大事にしているのが、座右の銘でもある『練習はウソをつかない』だ。負けたときこそ、練習をする。うまくなりたければ、練習をするしかない。クヨクヨ落ち込んでいたところで、何も生まれない。
「『おれはこの練習を乗り越えたから、強くなれたんだ!』という経験をさせてやりたい。
やり切ったうえでの自信がなければ、強くはなれないですからね。特に、12月の合宿は本当にきついと思うけど、そういう練習こそ前向きに明るく取り組む。見学に来た方が、『三高の子は、きつい練習でも下を向かないですよね』と言ってくれることが多くて、それは嬉しいですね」
その先頭に立って、明るい雰囲気を作り出しているのが小倉監督だ。監督が仏頂面でグラウンドにいれば、ハードな練習がさらにきつく感じてしまうだろう。
(続きは書籍でお楽しみください)
「甲子園優勝監督の失敗学」
大利実
KADOKAWA