昨年遊撃のベストナインに輝いたロッテの鈴木大地が、今季から二塁にコンバートすることになった。
これまで遊撃から二塁にコンバートしたケースをみると、松井稼頭央が挙げられる。松井は94年から03年までプレーした西武時代に、遊撃で4度ゴールデングラブ賞を受賞。肩の強さを武器に多くのアウトを奪った。04年から活躍の舞台をメジャーに移し、メッツ1年目は遊撃で110試合に出場したが、翌年からレイエスが遊撃に入り松井は二塁へコンバート。その後、メジャーでプレーしている期間は、二塁での出場が多かった。楽天復帰後に再び遊撃を守り、14年からは外野にも挑戦している。
現在巨人で内野守備走塁コーチを務める井端弘和もそうだった。井端は中日時代、二塁の荒木雅博とともに二遊間で、6年連続ゴールデングラブ賞を受賞する守備のスペシャリスト。しかし、10年に落合博満監督(当時)の方針で二塁・荒木、遊撃・井端の2人を入れ替えるコンバートを実行。井端は二塁でも遊撃時代と同様に華麗な守備を見せ、11年は二塁でリーグトップの守備率を誇った。12年に高木守道監督が就任後、再び遊撃にコンバート。巨人移籍後は二塁、遊撃、三塁とユーティリティーにこなした。
また、2年連続トリプルスリーを達成した山田哲人(ヤクルト)も遊撃から二塁にコンバートしたひとりだ。山田は1年目の11年に出場した中日とのクライマックスシリーズでは、「1番・遊撃」で先発出場するなど、入団当初は遊撃手だった。
3年目の13年も遊撃として出場していたが、同年のシーズン途中に当時レギュラーだった田中浩康が打撃不振に陥ったため、二塁での出場数が増加。14年には完全にレギュラーをモノにし、日本を代表する二塁手に成長した。
その他、井口資仁、西岡剛、荒木雅博らが遊撃から二塁にコンバートしている。鈴木は二塁でも遊撃時代と変わらず安定した成績を残せるか注目だ。
これまで遊撃から二塁にコンバートしたケースをみると、松井稼頭央が挙げられる。松井は94年から03年までプレーした西武時代に、遊撃で4度ゴールデングラブ賞を受賞。肩の強さを武器に多くのアウトを奪った。04年から活躍の舞台をメジャーに移し、メッツ1年目は遊撃で110試合に出場したが、翌年からレイエスが遊撃に入り松井は二塁へコンバート。その後、メジャーでプレーしている期間は、二塁での出場が多かった。楽天復帰後に再び遊撃を守り、14年からは外野にも挑戦している。
現在巨人で内野守備走塁コーチを務める井端弘和もそうだった。井端は中日時代、二塁の荒木雅博とともに二遊間で、6年連続ゴールデングラブ賞を受賞する守備のスペシャリスト。しかし、10年に落合博満監督(当時)の方針で二塁・荒木、遊撃・井端の2人を入れ替えるコンバートを実行。井端は二塁でも遊撃時代と同様に華麗な守備を見せ、11年は二塁でリーグトップの守備率を誇った。12年に高木守道監督が就任後、再び遊撃にコンバート。巨人移籍後は二塁、遊撃、三塁とユーティリティーにこなした。
また、2年連続トリプルスリーを達成した山田哲人(ヤクルト)も遊撃から二塁にコンバートしたひとりだ。山田は1年目の11年に出場した中日とのクライマックスシリーズでは、「1番・遊撃」で先発出場するなど、入団当初は遊撃手だった。
3年目の13年も遊撃として出場していたが、同年のシーズン途中に当時レギュラーだった田中浩康が打撃不振に陥ったため、二塁での出場数が増加。14年には完全にレギュラーをモノにし、日本を代表する二塁手に成長した。
その他、井口資仁、西岡剛、荒木雅博らが遊撃から二塁にコンバートしている。鈴木は二塁でも遊撃時代と変わらず安定した成績を残せるか注目だ。