◆ 星野は3年目に背番号「20」
明治大からドラフト1位で中日に入団した柳裕也。これまで柳のように明治大からドラフト1位で中日入りした投手は、星野仙一、高橋三千丈、川上憲伸がいる。彼らはプロ入り後、どのような成績を残したのかみていきたい。
68年のドラフトで1位入団した星野仙一は、1年目の69年は主にリリーフを中心に49試合に登板し、8勝を挙げた。3年目の71年から中日のエースナンバー『20』を着けるようになり、74年には15勝、10セーブの活躍でリーグ優勝の立役者となった。
特に巨人戦では“闘志”を燃やし、通算36勝を挙げた。現役通算146勝を記録し、82年に惜しまれながら現役を退いた。
【星野仙一】
1968年ドラフト1位
1年目成績:49試 8勝9敗 防3.12
通算成績:500試 146勝121敗34S 防3.60
◆ 高橋は1年目に43試合に登板
高橋は78年のドラフト1位で中日に入団。1年目は先発、リリーフの両方をこなし、43試合に登板して、5勝4敗2セーブ、防御率4.15の成績を残した。
2年目以降は故障に泣き、80年と83年に8試合、84年に1試合の登板にとどまり、84年限りで現役を引退した。
【高橋三千丈】
1978年ドラフト1位
1年目成績:43試 5勝4敗2S 防4.15
通算成績:60試 6勝6敗2S 防4.92
◆ 川上は98年新人王
明治大時代、4年間で通算28勝、311奪三振を記録した川上は、97年のドラフトで、明治大の大先輩・星野仙一監督(当時)が率いる中日に入団。1年目から先発ローテーションに割って入り14勝6敗、防御率2.57という成績で新人王を受賞した。
その後、右肩の故障で思うような力を発揮できなかったシーズンが続いたが、落合博満監督(当時)が就任した04年以降は中日のエースに成長。04年は最多勝、MVP、沢村賞を受賞しリーグ優勝に貢献し、06年も最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得する活躍でリーグ優勝の立役者となった。
09年から3年間メジャーでプレーしたが、12年から再び中日に復帰。14年に自身7度目の開幕投手を務めたが、15年に戦力外となった。
【川上憲伸】
1997年ドラフト1位
1年目成績:26試 14勝6敗 防2.57
NPB通算:275試 117勝76敗 防3.24
MLB成績:50試 8勝22敗 防4.32
明治大から中日にドラフト1位で入団した星野と川上は、チームの“エース”へと成長した。柳は偉大な先輩たちと負けじとプロの世界で活躍することができるだろうか…。