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宮本流「食べろ」改革と広岡流「控えろ」革命

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宮本慎也ヘッドコーチ(C)KYODO NEWS IMAGES

宮本ヘッドの改革


 この秋から古巣・ヤクルトのヘッドコーチに就任した宮本慎也氏。球団ワースト記録となる96敗を喫したチームの建て直しを託された男は、秋季キャンプの地・松山で改革に着手している。

 なかでも話題となったのが、「もっと食べろ」というもの。若手選手たちに対して夕食時に“茶碗3杯”のご飯を食べることを最低限のノルマとしているのだという。

 「食事も練習のひとつ」というのが宮本ヘッドの持論。たしかに近年は“飯トレ”という言葉も定着するほど、特に中学・高校年代においての食事の重要性は高まってきているが、プロのチームにおけるこうした取り組みはなかなか珍しい。

 その背景にあるのが、選手の“強度”アップ。ヤクルトと言えば毎年のように主力がケガで離脱し、それが低迷の原因となることがほとんどだった。「体重が増えればすべての面で強くなる。打球はもうひと伸びするし、ボールの球質も良くなる」。チームを変革するための第一歩が、“食”だったのだ。


体力強化と体質改善


 宮本ヘッドの「今の子は食べない」という話で思い出されるのが、1978年にヤクルトを初優勝へと導いた広岡達朗監督のエピソードだ。

 徹底した『管理野球』で知られる名将の采配はグラウンド内だけに留まらず、選手の食事管理にも及んだ。その最たる例が「玄米食」。主食を白米ではなく玄米とし、量は控えめ。さらにおかずも肉はご法度で、野菜中心のヘルシーなメニュー。当時としてはかなり先進的な食事改革により、選手の体質改善を図った。

 西武の監督に就任した際には、前任者の根本陸夫氏が『放任主義』だったこともあり、その落差から選手たちのなかで不満が渦巻いた時期も。たとえば食べ盛りの若手選手らは寮の食事では満足できず、こっそり抜け出して追加でご飯を食べに行こうとした。それが寮長にバレて外出禁止にされた選手も一人や二人ではなかったというから、「今の子」との大きなギャップを感じる。

 この広岡氏のスタイルには賛否両論あったが、結果はついてきた。上述の通りヤクルトは1978年に球団初優勝を成し遂げ、西武でも就任1年目の1982年とその翌年で連覇を達成。両チームともしっかり強くなった。


 体力強化を掲げる宮本ヘッドコーチと、体質改善を掲げた広岡氏。選手を鍛えるという目的は同じだが、かたや「食べろ」でもう一方は「控えろ」。その命令は真逆のベクトルを向いている。

 果たして、宮本ヘッドの「食べろ」改革は実を結ぶのか…。来年の春、そして1年後に振り返るのがたのしみだ。



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