選手兼テクニカルコーチで復帰
西武は17日、松井稼頭央と選手兼テクニカルコーチとして来季契約を結んだことを発表した。
記者会見に登場した松井は、「昨日正式に話をいただいて、西武さんにお世話になりたいと」と古巣復帰を報告。決断に至った経緯については、「楽天さんからコーチの打診もあったんですが、現役への気持ちが強かった。こだわりは試合に出ることが一番。内野も外野も、チームに言われたところでできるようにしたい」と“現役”への想いに突き動かされたことを明かした。
また、来季も現役を続行することになった心境については、「楽しみ。契約するまでは不安だったけど、契約してユニフォームに袖を通したことで来季に向けた取り組み方も変わってくる」とコメント。「現役は一度しかない。ここまでやらせてもらっているなかで、ここまでやってきたという思いもあるが、もうちょっと小さい花でもいいので咲かせたい」と活躍を誓った。
さらに、外から見た西武の印象については「強いです」。つづけて「菊池(雄星)選手と対戦しなくなるのでよかった」と正直な気持ちを吐露。背番号は慣れ親しんだ「7」に決まり、「15年ぶりということで、もう僕のことを知らない人もいると思いますけど、昔から応援してくれたファンのためにもまずはプレーで見せないといけない。まずは『背番号7』で元気な姿を見せられればと思う」と意気込んだ。
1993年にドラフト3位で指名を受け、西武でプロのキャリアをスタートさせた松井。プロ2年目からレギュラーに定着すると、2003年までの9シーズンで盗塁王に輝くこと3回、最多安打も2回獲得。1998年にはシーズンMVPに選出され、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞は4回受賞。2002年シーズンには史上8人目、スイッチヒッターとしては初となるトリプルスリーも達成するなど、球界屈指のリードオフマンへと成長を遂げた。
2003年のオフにFA権を行使し、夢だったメジャー挑戦を表明。メッツと契約を結び、日本人内野手として初めてのメジャーリーガーとなる。その後はメッツからロッキーズ、アストロズと渡り歩き、2011年に楽天でNPB復帰。2013年には球団創設初優勝と日本一に貢献した。
40歳を迎える2015年からは外野手に転向。126試合に出場を果たすも、昨季は56試合、そして今季は44試合と出場機会が年々減少。このオフに楽天からコーチ就任を打診されたが、現役にこだわって自由契約となることを選択。こうして、15シーズンぶりの西武復帰が決まった。