巨人・宇佐見真吾(C)KYODO NEWS IMAGES

◆ 小林誠司を脅かす存在へ…

 16日に東京ドームで開幕した「ENEOS アジアプロ野球チャンピオンシップ2017」は、侍ジャパンが3戦全勝で優勝。稲葉篤紀新監督は初陣を最高の結果で締めくくった。

 日・韓・台のこれからを担う若手たちが東京ドームで躍動した4日間。その舞台に上がる権利を手にしながら、侍のユニフォームを着ることができなかった選手もいる。巨人・宇佐見真吾だ。

 市立柏高から城西国際大を経て、2015年のドラフト4位で巨人に入団した宇佐見。プロ2年目の今季、8月8日に代打で一軍デビューを果たすと、いきなり藤川球児からプロ初安打をマーク。するとその後も代打がメインながら21試合・45打席に立って打率.350を記録。持ち前の打力で猛烈なアピールを見せた。

 次代の“打てる捕手”として大きな期待を受け、オフには稲葉ジャパンのメンバー25名にも選出。ところが、秋季キャンプ中に左手首を痛めてしまい、残念ながら辞退することとなってしまった。

 若き侍たちが東京ドームで戦う中、ジャイアンツ球場でリハビリに励む日々。3年目の飛躍へ向けて準備を進めているところに、球団からの期待の大きさを伺わせる一報が入ってきた。来季から背番号が「27」に変更されるという。

◆ 伊東や古田、谷繁も…

 背番号「27」といえば、巨人では森昌彦(現・祇晶)氏が栄光のV9時代に背負っていた捕手伝統の番号だ。他球団でも近年は谷繁元信氏のイメージが強く、現役でも炭谷銀仁朗(西武)、大野奨太(日本ハム)、会沢翼(広島)といった捕手たちが「27」を背にプレーしている。

 「27」の名捕手と言えば、1980年代後半から1990年代にかかる西武黄金時代の正捕手・伊東勤氏が代表的な一人。プロ入り1年目の1982年から引退する2003年まで、1度の背番号変更もなかった。通算1738安打と名球会には一歩届かなかったものの、2017年に野球殿堂入りも果たしている。

 また、90年代の名捕手・古田敦也氏も、背番号「27」をプロ入りから選手兼任監督時代も含めて背負い続けた。なお、古田がユニフォームを脱いだ翌年から、ヤクルトの「27」は空き番号となっている。

 そして、ヤクルトでは古田の前にも捕手がこの番号を背負っていた。1970年から1985年まで燕一筋でプレーした大矢明彦氏である。1年目のオフに背番号「32」から「27」へと変更すると、そこから15年間現役引退までこの番号を背負い続けた。

 ちなみに、ヤクルトでは1950年のチーム創設から計7名の選手がこの番号を背負っているが、そのうち4名が捕手だった。また、着用者が存在した53年中、じつに46年に渡って捕手が使用していることも逃せない。球界でいち早く捕手の番号として認識させた球団でもあるのだ。

 このように、いつからか捕手にとって特別な番号となった「27」。これを宇佐見に託すということは、「捕手として期待している」という球団からのメッセージとも取れる。

 正捕手・小林誠司への挑戦だけでなく、社会人出の岸田行倫、大城卓三というルーキーも入ってくる2018年。厳しいポジション争いを勝ち抜き、名捕手への道を切り拓くことができるだろうか。

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