星野仙一
星野氏の殿堂入りを祝福  野球殿堂入りを祝う会で鏡開きをする星野仙一氏(中央)=28日、東京都内のホテル

◆ 白球つれづれ~第40回・星野仙一

 東北楽天の球団副会長である星野仙一の野球殿堂入りを祝う会が11月27日に東京、そして12月1日に大阪の2会場で行われた。共に1000人近くを集める盛大なパーティー。過去に野球殿堂入りの祝う会には何度か出席したが、これだけど派手な催しは初めてで、改めて星野の人脈の広さ、深さを実感した。

 代表発起人は楽天の三木谷浩史会長兼オーナー。発起人に名を連ねる顔ぶれを見るとスポーツ界のみならず、政財界から出版や芸能界のドンまでがズラリ。中でも興味深かったのは星野を取り巻く野球界の人脈だ。

 岡山・倉敷商業出身、明大では恩師・島岡吉郎の薫陶を受けて神宮の花形選手に。巨人入団を確信していたドラフトでは中日から指名された。この時、巨人の1位指名が島野修(当時・武相高)と聞いて「島野じゃなく星野じゃないのか?」と聞き返したという逸話が残っている。だが、この瞬間から打倒巨人を誓い、ファイトを前面に出す投球ぶりに、いつしか「燃える男」が代名詞として定着していった。

 現役引退後は評論家生活を挟みながらも古巣の中日を皮切りに、阪神そして楽天の監督を歴任。特に記憶に新しいのは13年の楽天監督としての日本一だろう。会場では三木谷代表発起人が球団創設時の苦労から新監督に星野を招請する際は「たぶん断られるだろうと覚悟していた」との秘話や2011年に東北を襲った大震災からのチーム一丸となった復活劇が語られた。この日のサプライズゲストとしてNYヤンキースの田中将大が登場すると熱気は最高潮に達した。

◆ 闘将の裏の顔?

 監督時代は乱闘も辞さず「闘将」として鳴らしたが、それは表の顔。内実は野球界の奥深くまで人脈を張り巡らせた策士であり、敏腕経営者の側面を併せ持っている。

 今年、西武から楽天にFA移籍した岸孝之の獲得劇の仕掛け人は星野だというのが球界では常識だ。ある西武OBを介して水面下で動き、「星野さんが動いているなら(楽天移籍で)もう決まったも同然」と西武関係者を嘆かせた。

 また、星野が兵庫・芦屋に新居を構えたお披露目の場には全国からアマチュアの指導者らが集結した、とも言う。かつて、西武の黄金時代を築いた根本陸夫はプロアマの垣根を超えたネットワークを作り上げ、ドラフトからトレードまで辣腕を発揮、「球界の寝業師」と呼ばれた。だが、今ではこうした仕事をやり遂げるのは星野をおいて他にない。

 東京会場には高校時代の岡山人脈から明大時代の東京六大学の関係者、さらに中日、阪神、楽天での仲間たちはもとより明大・善波達也、駒大・太田誠(元監督)、東北福祉大・大塚光二らの大学監督から履正社・岡田龍生、日大三・小倉全由らの高校指導者までが集結している。まさにあらゆるところに張り巡らされた星野人脈だ。

◆ 夢の続き

 現在は球団副会長として楽天のチーム強化に腐心する星野もすでに70歳。野球殿堂入りも果たした次なる夢はこうした幅広いネットワークを生かした野球界全体の底上げにある。

「全国の子供たちが野球を出来る環境を作らないといけない。活気のある球界に戻さないといけない。プロもアマもない。野球界全体と考えれば底辺も拡大する」

 星野が色紙に好んで描くのは「夢」の一字。野球人口の減少や少子化と言った現実に直面する今だからこそ星野の使命は大きい。恩師である島岡吉郎譲りの「人間力」と師をしのぐ華麗な人脈を駆使してどんな成果をもたらすか?

 まだまだ夢の続きがある。

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)

【荒川和夫・プロフィール】
1975年スポーツニッポン新聞社入社。野球担当として巨人、西武、ロッテ、横浜大洋(現DeNA)等を歴任。その後運動部長、編集局長、広告局長等を経て現在はスポーツライターとして活動中。

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