ポスティングシステムでメジャーリーグの球団へ移籍を目指した日本ハム・大谷翔平はエンゼルスへ移籍が決まった。
エンゼルスはアメリカン・リーグの西地区に所属し、2002年に初の世界一を達成。04年から09年にかけて5度地区制覇を果たすなど黄金時代を築いたが、2010年以降の地区優勝は14年のみ。今季は地区2位だったが80勝82敗と負け越した。
過去にエンゼルスでプレーした日本人選手は、長谷川滋利、松井秀喜、高橋尚成の3人。彼らのエンゼルス1年目の成績を見てみると、97年にオリックスからエンゼルスへ移籍した長谷川は、4月が終了した時点で防御率7.63と苦しんだ。序盤は先発を務めることが多かったが、リリーフでの登板が増えてからは、安定した投球が目立った。1年目は50試合に登板して、3勝7敗、防御率3.93という成績だった。翌年以降はブルペンで欠かせない存在となり98年から3年連続で60試合以上に登板、5年間エンゼルスでプレーし、02年にマリナーズへ移籍した。
長谷川の次にエンゼルスでプレーした日本人選手は松井秀喜。松井は10年の1年だけエンゼルスのユニフォームに袖を通した。故障も多くヤンキースでプレーした最終年は指名打者での出場が多かったが、エンゼルスではレフトの守備に就く場面もあった。打撃面では5月の月間打率が.184、6月が.318、7月が.228、8月が.304と好不調の波が多かったものの、最終的には打率.274、21本塁打、84打点の成績を残した。
翌11年に高橋尚成がエンゼルスに所属した。メッツでプレーした前年は先発とリリーフの両方をこなしたが、エンゼルスではリリーフに専念。春先は打ち込まれるシーンもあったが、徐々に復調し61試合に登板し防御率3.44という成績だった。高橋尚は12年途中までエンゼルスに在籍した。
来季からエンゼルスでプレーする大谷。移籍1年目にどのような成績を残すか非常に楽しみだ。
【エンゼルスでプレーした日本人選手の1年目成績】
長谷川滋利(97年~01年)
97年:50試 3勝7敗 防3.93
松井秀喜(10年)
10年:145試 率.274 本21 点84
高橋尚成(11年~12年途)
11年:61試 4勝3敗2S 防3.44
エンゼルスはアメリカン・リーグの西地区に所属し、2002年に初の世界一を達成。04年から09年にかけて5度地区制覇を果たすなど黄金時代を築いたが、2010年以降の地区優勝は14年のみ。今季は地区2位だったが80勝82敗と負け越した。
過去にエンゼルスでプレーした日本人選手は、長谷川滋利、松井秀喜、高橋尚成の3人。彼らのエンゼルス1年目の成績を見てみると、97年にオリックスからエンゼルスへ移籍した長谷川は、4月が終了した時点で防御率7.63と苦しんだ。序盤は先発を務めることが多かったが、リリーフでの登板が増えてからは、安定した投球が目立った。1年目は50試合に登板して、3勝7敗、防御率3.93という成績だった。翌年以降はブルペンで欠かせない存在となり98年から3年連続で60試合以上に登板、5年間エンゼルスでプレーし、02年にマリナーズへ移籍した。
長谷川の次にエンゼルスでプレーした日本人選手は松井秀喜。松井は10年の1年だけエンゼルスのユニフォームに袖を通した。故障も多くヤンキースでプレーした最終年は指名打者での出場が多かったが、エンゼルスではレフトの守備に就く場面もあった。打撃面では5月の月間打率が.184、6月が.318、7月が.228、8月が.304と好不調の波が多かったものの、最終的には打率.274、21本塁打、84打点の成績を残した。
翌11年に高橋尚成がエンゼルスに所属した。メッツでプレーした前年は先発とリリーフの両方をこなしたが、エンゼルスではリリーフに専念。春先は打ち込まれるシーンもあったが、徐々に復調し61試合に登板し防御率3.44という成績だった。高橋尚は12年途中までエンゼルスに在籍した。
来季からエンゼルスでプレーする大谷。移籍1年目にどのような成績を残すか非常に楽しみだ。
【エンゼルスでプレーした日本人選手の1年目成績】
長谷川滋利(97年~01年)
97年:50試 3勝7敗 防3.93
松井秀喜(10年)
10年:145試 率.274 本21 点84
高橋尚成(11年~12年途)
11年:61試 4勝3敗2S 防3.44