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金村義明さんに聞いた『プロ野球とおカネ』の話 ~前編~

無断転載禁止
聞きにくい『お金』の話を金村義明さんに聞いてみた [写真=小倉直樹]

大豪邸に憧れて…


――今回はプロ野球とお金というテーマでお話を伺えればと思います。

「今とは時代が違うけどね」


――ですが、金村さんだから話せることもあると思うので、よろしくお願いします。

「そうでしょうね。パ・リーグは特に。巨人一極集中の時代だったからね」


――金村さんの経歴を振り返ると、報徳学園で春夏と甲子園に出場。夏は全試合4番ピッチャーで、予選から全試合完投しての優勝。そうなると色々なところからスカウトが来ました?

「12球団全部きましたよ」


――プロ野球を意識するようになったのはいつ頃からですか?

「もうずーっと意識していました。報徳学園に行って、阪急ブレーブスに入ってと。小学校3年の作文に書いたくらい。とにかく世間知らずでしたから、(当時の報道では)阪急の長池(徳士)さんに憧れたとなっていましたけど、実際のところは長池さんの家に憧れただけ(笑)最近、本人にはやっと正直に言えるようになりました(笑)」


――阪急が熱烈というより、金村さんの憧れだったと。

「はい。僕が勝手に。阪急はじまって以来の逆指名が僕でした。その当時、7年連続でドラフト1位に断られている不人気なチームとは知らなくてね(笑)7年連続で断られているとは」


――ちなみに契約金はいくらぐらいだったんですか?

「当時、原(辰徳)さんが推定で契約金8000万、年俸800万くらいで、それが破格だった記憶がある。高校生でそれくらいもらえるもんだと思っていたら、原は大学生、君は高校生と。で、契約金も原は大学生、君は高校生と(笑)」

「確か5500万の小切手だったと。で、年俸は、当時一軍の最低年俸が360万円でしたから、400万ですかね。それでも破格やと言われて(笑) サインしながら、よしプロ入ってから頑張って高台に家を建てたる言いながら、契約金をすべて母親に渡して、一人で乗り込んでいったんですけどね…」


50万ダウンで25%アップ!?


――いよいよプロ野球選手としての生活がスタートしますね

「ピッチャーから野手に転向して入ったものですから、1年目は休みなし。一軍キャンプに連れて行ってもらいながら、4日に1回ある休みの日は二軍の練習に参加し、ほぼ休みなしでしたよね。英才教育という名のもとに(笑)。イジメのような環境でしたよね」

「で、バッターに転向して、体力はあったので(ウエスタン・リーグの)全試合に出ました。そして、夏にジュニアオールスターという当時人気があった二軍のオールスターがあって、資生堂がスポンサーで観客も満員。その時に、僕が奇跡的にMVPをとって100万円と、サイクルヒットを打った特別賞などで139万円いただきました」

「そのおかげで、一軍の試合にもデビュー(1982年9月の西武戦)。で、忘れもしないのがデビュー戦で4打数4三振。それくらいしか1年目の記憶はないですよね」


――初めての契約更改はどうだったんですか?

「入団するときにスカウトから、すぐ打者に転向するのだから、初めに(たくさん)もらってもダウンさせられるぞと言われ、これぐらいがちょうどいいということで400万になっていた。だから一軍にデビューしたし、年俸が上がると思って契約更改に行くと、ダウンだと(笑)50万ダウンだと」

「50万ダウンなんて信じられなくて、なんでですか?と尋ねると、お前はジュニアオールスターで139万もらっているはずや。それ、50万ダウンに139万を足してみろ。アップやと(笑) だから表にでたらマスコミには25%アップと言っておきなさいと(笑)これ実話ですからね」

「いや、それは納得できない。印鑑も持ってきていないと言うと、向こうが3つ印鑑をもってきて、好きなものを選べと(笑)好きなの選んでこれで押せと。名言が、ファームは農場という意味や、プロは一軍で活躍してはじめて給料が上がる。お前はファームにずっといたのだから上がる要素がないと。ただ下がったけれども、トータル的には上がっているからと(笑)当時のマスコミもびっくりしましたよね。表にでると、いくらアップ?と聞かれて、いや、50万ダウンですと(笑)」


――賞金と給料は別ものですよね?どういう形でもらうのですか?

「別物ですよ。(賞金は)スポンサーから、当時は資生堂から特別賞139万円を化粧品と共にいただきました」


意外とかかる野球選手の諸費用


――金村さんの頃はグッズの売上などは?

「僕らの時はグッズなんか売れないし、ないですよ。タイガースの総務に僕の同級生がいるので話を聞くと、タイガースはグッズが凄いらしいんですよ。球団と折半らしいから。凄いな折半って。金本なんかが現役のときは年俸だけで6億くらいもらって、グッズだけでも8000万くらいいったとか。300アイテムくらいあるんとちゃいます?(笑)」

「肖像権で、近鉄時代のカルビーでも、僕がミズノと10何年契約しているときは、年契約で200万。球団が半分以上とったかな。そういった肖像権などの権利を全部勝ち取るために労働組合ができたりしたんですけどね」

「近鉄時代は肖像権も球団がもっていたので、カルビーの野球カードに選ばれるとね、球団が8割、選手が2割。パ・リーグの近鉄だけしか知らないですけど、一流選手になってミズノやゼットと用具契約できて、タダで用具をもらえる人や、年間契約で100万円くらいもらって、バットを作ってもらえる人もいましたけど、僕らの1年目の給料は、ほとんど用具費で消えましたよね」

「内野手用のグローブももらえるんやと思って3つ4つ選んだら、全部給料から引かれる。バットも折れると買わないといけない。スパイクも破れると買わないといけない。球団支給は2足で、ユニフォームもボロボロでしたしね。僕の28番のユニフォームも、(以前に28番を付けていた)花房と書いてあったのを外して金村と書いてありましたけどね(笑)」


――寮のお金は?

「寮費も引かれるんですよ。2万円くらい。で、試合前の食事も給料引き。カレーとかうどんとか。アルバイトのお姉ちゃんが、サロンとは名ばかりのサロンに持ってきてくれる(笑)僕が入ったときの藤井寺球場なんてのは、メジャーリーガーのダン・マネーがきて、これは爆弾でも落ちたのかと言って帰ったくらいの球場でしたから(笑)ナイター照明もなかったし、日生のグラウンドを借りてナイターをしていましたからね」


広島もパ・リーグ!? 驚きの待遇格差…


――選手は遠征先で食事に行ったりしますけど、ホテルでも用意されているんですか?

「当時はケータリングで用意してくれましたけど、ほとんど食べませんでしたよね。(以前)近鉄の系列で(三田にあった)都イン東京というのが僕らの定宿だったんですけど、都ホテルという高級なところには泊めさせてくれない(笑) 都インの方」

「食事も美味しくなくて外食していましたね。ただ、負のスパイラルで、外食するから球団も料理にお金をかけない。だからどんどん料理の質も落ちていく(笑)」

「キャンプのときも最初は(高知県の)宿毛のマツヤに100人くらい。その次の年から仰木さんがヘッドコーチになられたときに、(宮崎県)日向の国民宿舎でしたからね。かんぽの宿と日向ハイツ」

「寮でも、寮母のおばちゃんとおっちゃんが旅行好きで、けっこう旅行に行っていないとかがある(笑) すると、巻き寿司がピラミッドのように山盛りで積んであって、味噌汁を温めてくださいとかね。カップヌードルが置いてあったりね(笑) 寮も飲み物はみな自動販売機でしたよ」


――信じられないですね(笑)それはパ・リーグだけですか?

「いやいや、当時の広島もパ・リーグに属していましたから(笑) 市民球場で。カップヌードルが置いてあって(笑)金を入れて食べるとか。広陵高校のグラウンドを借りて静かに練習していたとかね(笑)」

「もう球界に入ってけっこういますけど、やっぱり巨人と阪神は別格でしたよね。それとセ・リーグでは中日。この3チームは別格ですよね。その中でも、特に巨人は別格です。僕くらいの年代、今コーチしている村田とか吉村、あのあたりは。僕らはバブルのあと世代ですからね。バブル経済も経験しましたけど。どっぷりバブルを経験しているのが、原さんや江川さんですかね」

「当時の巨人は凄まじいですよね。当時の巨人には、キャッシュディスペンサーでお金をおろしている選手なんていませんでしたよ、レギュラーでは。賞金とかが大きいですからね、試合とかの。レギュラーですと、振り込まれる年俸がそのまま貯金やと。けっこう近鉄と巨人のトレードが多かったですからね。だから巨人から近鉄にきてビックリしていたのが淡口(憲治)さんでしたけどね(笑)」


――その賞金というのは出場給みたいなものですか?

「いや、出場給ではなく、勝利給。勝つと賞金が日テレから出たり、近鉄も賞金が近鉄百貨店から出ましたけど、ゼロの数が違う。だから近鉄で投手が完封勝ちしても10万円ももらえない。巨人なんか100万くらいだったんじゃないですかね。本当にゼロが1個くらい違う」

「で、待遇も良い。遠征先でも食事などは仲間といくよりスポンサーと。巨人や阪神はスポンサーが山ほどいますからね。スポンサーにゴチになりますの世界ですから。ただ、パ・リーグにはそんなにスポンサーはいませんでしたから。僕らは高級なところに行っても、はよ返ってバット振れとか言われる世界でしたから」


――仲間内で食事に行くと、やはり先輩が支払うものですか?

「もちろん、そうです」


――でもプロ野球はキャリアと年齢が合致しないから難しいですよね?

「それも変わってきたんですよね。僕が入ったときはキャリアが上なら先輩だった。吉本(興行)と一緒で。高卒でも早く入った方が先輩で、その辺が微妙だったんですよ。大卒で入ってきた人は後輩だけど年は2つ上みたいな。それが力の世界で呼び捨てにしたりね(笑)」

「さん付けで呼んでいたりというのがあったんですけど、いつの頃からか、年齢になりましたよね。(金村さんの頃は?)年齢じゃなかった。高卒でも癖のある人が多かったですから。ただ、年上でも呼び捨てにできるのはレギュラークラスだけですけどね。(バッテリーを組んでいた)江夏さん(1948年生まれ)が田淵さん(1946年生まれ)のことを「ぶち」と呼んでいたりね。年上やけど、(1946年生まれの)山本浩二さんを「こうじ」とか、(1947年生まれの)衣笠祥雄さんを「さち」と呼んでいたことは最たるものですよね。」



―――――
【next...】セとパの計3球団でプレーした経験を持つ金村さんが、契約更改の裏側を暴露!?

※この話はフィクションではありませんが、あくまで当時の話であり、金村さんの記憶の中での話です。


取材・構成=平野由倫(ひらの・よしのり)
―――――


朗報『グラゼニ(第1話~第8話)』の一挙再放送が決定!


見逃した人もまだ間に合う!!

▼ 日時
6月2日(土)午前10時30分~

▼ チャンネル
BSスカパー!(BS241)
※スカパー!加入者は無料


アニメ『グラゼニ』




放送日時:毎週金曜・22時30分 ☆再放送多数
原作:森高夕次/漫画・アダチケイジ「グラゼニ」(講談社『モーニング』連載)
監督:渡辺 歩(「ドラえもん」「宇宙兄弟」監督)
シリーズ構成・脚本:高屋敷英夫(「めぞん一刻」「逆境無頼カイジ」シリーズ構成)
キャラクターデザイン:大貫健一(「MAJOR」「ガンダムビルドファイターズ」キャラクターデザイン)
音楽:多田彰文(「ポケットモンスター劇場版」「魔法使いプリキュア」ED主題歌)
音響監督:辻谷耕史(「昭和元禄落語心中」「シムーン」)
音響制作:Ai Addiction(「地獄少女 宵伽」「ノラガミ」)
アニメーション制作:スタジオディーン(「昭和元禄落語心中」「GIANT KILLING」「さんかれあ」)
チャンネル:BSスカパー!(BS241/プレミアムサービス579)・スカパー!オンデマンド

※視聴方法
スカパー!のチャンネルまたはパック・セット等のご契約者は無料でご視聴いただけます。
・公式サイト:https://www.bs-sptv.com/gurazeni/
・公式Twitter:@sptv_gurazeni
製作:スカパー!・講談社


▼ 原作「グラゼニ」とは…
週刊『モーニング』(講談社)にて2010年12月より連載中の漫画「グラゼニ」。
成果主義であるプロ野球を“夢を売る徹底した格差社会”として、
「カネ」をテーマにプロ野球のシビアな世界と生活を懸けたプロ野球選手の日常を描く作品です。

リアルな描写で野球界でのファンも多く、第37回講談社漫画賞を受賞。
その他、「このマンガがすごい!2012」ではオトコ編・第2位に、
「全国書店員が選んだおすすめコミック2012」では8位にランクインするなど注目を集めました。


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