平成元年:第71回大会
・優 勝:帝京(東東京) ☆初優勝・準優勝:仙台育英(宮城)
※参加校:3990校
【主な高卒プロ選手】
・宮地克彦(尽誠学園→西武)
・元木大介(上宮→巨人)
・種田 仁(上宮→中日)
・前田智徳(熊本工→広島)
・浅井 樹(富山商→広島)
・鈴木尚典(横浜→横浜)
東東京の強豪・帝京が悲願の初優勝。前田三夫監督にとっては就任18年目にしてようやく掴んだ栄冠だった。
決勝戦までの4試合でわずか1失点という守りのチームは、決勝でもエース・吉岡の熱投で9回まで無失点。しかし、仙台育英のエース・大越も負けじとスコアボードにゼロを並べる力投を見せ、なんと0-0のまま9回まで終了した。
試合は10回に帝京打線が大越をついに捕らえて2点を先制。裏を吉岡が締め、帝京が悲願の初優勝。仙台育英は大越の力投実らず完封負けで、優勝旗の“白河の関越え”はならず。今なお東北勢による夏の甲子園優勝は果たされていない。
48試合中18試合も完封試合があったというディフェンスが光った大会のなか、打で存在感を発揮したのが上宮の元木大介。大会初日に組まれた試合で1試合2本塁打を放つ活躍を見せ、後に“師弟関係”となる清原和博に次ぐ歴代2位タイの甲子園6本塁打をマーク。甘いマスクで人気を博し、“モックンフィーバー”が巻き起こった。
平成2年:第72回大会
・優 勝:天理(奈良) ☆2回目・準優勝:沖縄水産(沖縄)
※参加校:4027校
【主な高卒プロ選手】
・内之倉隆志(鹿児島実→ダイエー)
・鈴木一朗(愛工大名電→オリックス)
・村松有人(星稜→ダイエー)
・松井秀喜(星稜→巨人)
・中村紀洋(渋谷→近鉄)
長身エース・南を擁した天理が2度目の全国制覇を果たした。
決勝戦では1点リードの9回裏、二死二塁の場面でレフトに大飛球を打たれるも、味方の超ファインプレーによって試合終了。虎の子の1点を守る完封勝利で、沖縄県勢初の甲子園制覇を阻んだ。
主なプロ野球選手を見ても分かる通り、将来の大打者がズラリと並んだスラッガー揃いの大会のなか、輝きを放ったのが鹿児島実の内之倉。大会通算打率.467に3本塁打の大暴れで、チームを8強進出へと導いている。
なお、後のイチローである愛工大名電の鈴木はこの時2年生、星稜・松井はまだ1年生だった。
平成3年:第73回大会
・優 勝:大阪桐蔭(大阪) ☆初優勝・準優勝:沖縄水産(沖縄)
※参加校:4046校
【主な高卒プロ選手】
・上田佳範(松商学園→日本ハム)
・津川 力(明徳義塾→ヤクルト)
・若林隆信(佐賀学園→中日)
・松井秀喜(星稜→巨人)
創部4年目で初出場の大阪桐蔭が初優勝。2年連続で決勝に進んだ沖縄水産を退け、15年ぶりとなる初出場・初優勝の快挙を成し遂げた。
決勝戦は両軍合わせて29安打の乱打戦。主砲・荻原の2ランで先制すると、逆転された後の5回にはこの大会でサイクル安打を達成している沢村通が満塁から走者一掃の適時二塁打を放つなど、一挙6点を挙げて試合をひっくり返した。沢村は決勝戦で4の4、6打点の大暴れ。清原和博に並ぶ大会タイ記録(当時)の27塁打をマークした。
この大会で悲劇のヒーローとなったのが、沖縄水産のエース・大野倫。前年の準優勝に貢献した右腕は県大会から痛み止めを打ちながらも投げ続け、甲子園でも6試合すべて完投。36失点を喫しながら773球を投げ抜いたが、大会後に右肘の疲労骨折と診断されて以降は投手を続けることができなかった。
平成4年:第74回大会
・優 勝:西日本短大付(福岡) ☆初優勝・準優勝:拓大紅陵(千葉)
※参加校:4065校
【主な高卒プロ選手】
・多田昌弘(拓大紅陵→広島)
・松井秀喜(星稜→巨人)
・金子 誠(常総学院→日本ハム)
バルセロナ五輪の開幕や雨天順延などが重なり、史上最も遅い8月25日の開催となった決勝戦は、スクイズの1点を守り抜いた西日本短大付が優勝。エースの森尾和貴は5試合すべて完投、うち4試合が完封という快投で、福岡県に27年ぶりの栄冠をもたらした。
この年から甲子園のラッキーゾーンが撤去され、本塁打が激減した大会のなかで目玉として注目されたのが星稜の松井。超高校級スラッガーとして大会前から大きな注目を集めるも、2回戦で明徳義塾に敗戦。前代未聞の「5打席連続敬遠」は今なお語り継がれる甲子園の伝説となっている。
平成5年:第75回大会
・優 勝:育英(兵庫) ☆初優勝・準優勝:春日部共栄(埼玉)
※参加校:4071校
【主な高卒プロ選手】
・平井正史(宇和島東→オリックス)
・橋本 将(宇和島東→ロッテ)
・嶋 重宣(東北→広島)
育英が2年生エース・土肥義弘を擁した春日部共栄を破り、初優勝を飾った。
2点を先制した育英だったが、主将・安田聖寛が守備で相手と交錯して負傷。涙の途中交代となってしまう。さらに強力打線を誇る春日部共栄に迫られ、ついに2-2の同点に。それでも、主将が病院での治療を終えてベンチへと帰ってきた直後に仲間が奮起。8回一死一・三塁のチャンスで試みたスクイズは三塁走者のスタートが遅れて絶体絶命も、走者のスタートが遅れた分、タイミングがズレた土肥の送球が大きく逸れてその間に走者が生還。これが決勝点となった。
この一戦も高校野球ファンの間で語り継がれる名勝負のひとつで、先日放送されたテレビ朝日『夏のアメトーーーーーク 高校野球大大大大大好き~栄冠は君に輝くSP~』でも取り上げられた。
平成6年:第76回大会
・優 勝:佐賀商(佐賀) ☆初優勝・準優勝:樟南(鹿児島)
※参加校:4088校
【主な高卒プロ選手】
・金村秀雄(仙台育英→日本ハム)※プロでの登録名は「金村暁」
・石井義人(浦和学院→横浜)
・紀田彰一(横浜→横浜)
・多村仁志(横浜→横浜)
・斉藤宜之(横浜→巨人)
・横山道哉(横浜→横浜)
この年の春からベンチ入り可能人数が15人から16人に増加。センバツのベスト4が揃って地方大会で消えるという波乱の夏を制したのは、史上初となる“九州決戦”に勝った佐賀商だった。
どちらが勝っても県勢初優勝となる佐賀vs.鹿児島の九州勢対決。試合は4-4の同点で迎えた9回表二死、土壇場で佐賀商の主将・西原正勝が勝ち越しの満塁弾。決勝戦史上初となるグランドスラムで、佐賀商が佐賀県勢初の甲子園制覇を達成した。
なお、主なプロ入り選手にあるように、後のプロ野球選手を多く抱えたタレント軍団・横浜は初戦で那覇商に敗れている。
平成7年:第77回大会
・優 勝:帝京(東東京) ☆2回目・準優勝:星稜(石川)
※参加校:4098校
【主な高卒プロ選手】
・沢井良輔(銚子商→ロッテ)
帝京が平成元年以来の優勝を果たした。星稜のエースで、後に慶大を経てプロ入りする左腕・山本省吾を見事に攻略。投げては背番号10の白木隆之が初回の1失点で踏ん張り完投。石川県勢初優勝の夢を阻んだ。
両耳が守られる形の打者ヘルメットの着用が義務付けられたのがこの大会。打者ではPL学園の主砲・福留孝介が躍動。1回戦の北海道工戦では満塁・2ランと2打席連続の特大弾を放ち、観客の度肝を抜くと、準々決勝の智弁学園戦でも3安打をマーク。チームは敗れたものの、鮮烈な印象を残した。なお、秋のドラフト会議では7球団が競合するフィーバーが起こったが、当たりを引いた近鉄への入団は拒否して社会人・日本生命へ入社。1998年のドラフト会議で中日から逆指名されてプロ入りを果たした。
平成8年:第78回大会
・優 勝:松山商(愛媛) ☆5回目・準優勝:熊本工(熊本)
※参加校:4089校
【主な高卒プロ選手】
・関本賢太郎(天理→阪神)
・新沼慎二(仙台育英→横浜)
・石井義人(浦和学院→横浜)
“奇跡のバックホーム”と聞けば、ファンはおそらくこの年の決勝戦を思い浮かべることだろう。
初回に3点を先制した松山商だったが、1点リードで迎えた9回裏二死から1年生の沢村幸明に同点弾を被弾。土壇場で試合は振り出しに戻り、延長戦へと進む。
10回裏、松山商は一死満塁と絶体絶命のピンチ。ここで沢田勝彦監督は先発から右翼に回っていた新田浩貴を下げ、本職の背番号9・矢野勝嗣を投入。すると、次打者の飛球は右翼へ。飛距離は十分に見えた打球だったが、矢野は約80メートルの距離をダイレクト返球。タッチアップしてくる三塁走者が滑り込むところにドンピシャでボールを返し、なんとこれがアウトで併殺に。絶体絶命のピンチを救う。
すると11回、松山商はスクイズと適時打で一挙3点。死闘を制した松山商が27年ぶり5度目の優勝を成し遂げた。
平成9年:第79回大会
・優 勝:智弁和歌山(和歌山) ☆初優勝・準優勝:平安(京都)
※参加校:4093校
【主な高卒プロ選手】
・川口知哉(平安→オリックス)
今では“甲子園常連”のひとつに数えられる智弁和歌山が7度目の挑戦で悲願の初優勝。平安の左腕エース・川口を見事に攻略し、関西勢対決を制した。
高卒でプロ入りした選手こそ少なかったこの年だが、出場選手を見ると杉内俊哉に和田毅、石川雅規といった後のプロ野球を盛り上げる左腕エースがズラリ。1回戦では石川擁する秋田商と和田を擁する浜田が激突。両投手による投げ合いの末、最後は和田がサヨナラ押し出し四球を与えてしまい、秋田商が勝ち上がった。
平成10年:第80回大会
・優 勝:横浜(東神奈川) ☆2回目・準優勝:京都成章(京都)
※参加校:4102校
【主な高卒プロ選手】
・小池正晃(横浜→横浜)
・東出輝裕(敦賀気比→広島)
・栗原健太(日大山形→広島)
・森本稀哲(帝京→日本ハム)
・吉本 亮(九州学院→ダイエー)
・大島裕行(埼玉栄→西武)
・古木克明(豊田大谷→横浜)
“史上最高”の呼び声高い80回の記念大会は、平成の怪物・松坂大輔を擁した横浜が春夏連覇を達成した。
準々決勝はPL学園と延長17回の死闘。準決勝の明徳義塾戦では前日250球の熱投を演じた松坂に投げさせない作戦も、8回表までで0-6の大ピンチ。それでも8回裏に4点を返すと、9回表は松坂が登板。球場のムードが一変すると、9回裏に一挙3点を挙げて大逆転サヨナラ勝ち。
ミラクルに次ぐミラクルで勝ち上がった決勝戦、その幕切れはノーヒットノーラン。決勝では59年ぶりという大記録で、横浜が史上5校目の春夏連覇を達成。「怪物伝説」は20年経った今でも甲子園史の中で一際強い輝きを放っている。