◆ ホールド数はメジャー全体で見ても2位!
今季からメジャーに挑戦しているダイヤモンドバックスの平野佳寿。同時期に海を渡った大谷翔平の投打に渡る衝撃的な活躍ぶりによってどうしても陰に隠れがちだが、実は平野もものすごい活躍を見せている。
ここまで53試合の登板はリーグ6位タイ。その鉄腕ぶりでブルペン陣を支え、25ホールドはチームメイトのアーチー・ブラッドリーに次ぐ数字で、こちらはメジャー全体で見ても2位という好成績だ。
前半戦には5月から7月にかけて26試合連続無失点という球団新記録を樹立。上原浩治がもつ日本人記録の27試合というところは惜しくも届かなかったが、安定した投球でチームの信頼を勝ち取った。
◆ 日本人MLBプレイヤーの先駆者もリリーフ投手
思い返してみると、日本人メジャーリーガーの中で“想像以上の活躍”を見せた選手といえばリリーフ投手が多かった。
例えば、日本人初のメジャーリーガーである村上雅則。1962年に海外への野球留学を条件に南海と契約。1964年に渡米すると、8月には派遣先のジャイアンツ傘下からメジャーに昇格。9月1日のメッツ戦で日本人初となるメジャー登板を果たした。
1年目はそのまま1勝1ホールド、防御率1.80という好成績。翌年もジャイアンツで45試合に登板するなど、当時は夢のまた夢だった舞台で見事な実績を残した。
その村上の活躍からしばらく日本人メジャーリーガーは現れなかったが、約30年の年月を経て野茂英雄が渡米。アメリカでも“トルネード旋風”を巻き起こすと、以降は長谷川滋利や伊良部秀樹、石井一久などなど日本人投手はスターターの時代へ。リリーフ投手でも佐々木主浩はストッパーだったため、セットアッパーという役割はしばらく出てこなかった。
再び日本人投手がセットアッパーとして活躍を見せ始めるのが、2004年の大塚晶則あたりから。パドレスではデビューイヤーからいきなり73試合に登板。7勝2敗、リーグ最多の34ホールドをマークした。
続くは斎藤隆。ドジャースとマイナー契約を結んでアメリカに渡ると、シーズン序盤のうちにメジャー昇格。セットアッパーだけでなく時にはクローザーとしても好投を見せ、ブルペンの中心的存在として活躍。斎藤も1年目から72試合に登板し、6勝2敗で防御率は2.07という好成績だった。
そして、2007年の岡島秀樹はデビュー戦の初球を本塁打されるなどほろ苦いスタートとなるも、以降は立ち直ってブルペンの一角に定着。66試合に登板して3勝2敗、5セーブ・27ホールドを記録し、日本人メジャーリーガーとして初めてワールドシリーズに登板した。
ほかにも2008年にインディアンスでデビューした小林雅英や、2010年にメッツでデビューした高橋尚成が1年目から50試合以上に登板。平野は早くもその仲間入りを果たしている。
となると、目指すは日本人最多登板記録である大塚の73試合というところ。ドジャースと熾烈な地区首位争いを繰り広げるチームの中、チームをポストシーズンへと導く原動力となれるだろうか。奮闘を続ける平野から、後半戦も目が離せない。
文=中田ボンベ(dcp)