今季限りでの退任が決まったDeNAの高田繁GM(ゼネラルマネジャー)が12日、横浜市内の球団事務所で記者会見した。
同席した三原一晃球団代表は「数年にわたって辞意を受け取っており、球団としてはそのたびに慰留させていただいていた」と明かした。
会見で高田GMは「ここ2、3年、体力的にも、精神的にも厳しいなと感じていた」と語り、「DeNAを引き受けた7年前に、3年でCS、5年で優勝、それから単発でなくて常に優勝できるチームをつくってくださいね、ということで頑張ってきたが、その約束も果たしていない。信頼していただいたオーナー、たくさんのベイスターズファンのみなさんに本当に申し訳なかった」と謝罪。
高田氏は2011年12月、横浜DeNAの新規球界参入が決まってGM職に就いたが、この7年間について「1年、1年チーム力、戦力が整ってきているな、という手ごたえは自分自身にもあった」と述べた。また『GM職をまだできたのでは?』との問いには「球団ブースで試合を観るというのは本当に大変だよ。本当に一生懸命だよ、勝ってもらいたい、勝ってもらいたい、という結果ですから。ファンの人もそうでしょうけど。チームをつくった責任者ですから」とGM職の重圧について語った。
今月25日のドラフト会議はGMとしての職責を全うするとのことで「ドラフトは自分の最後の仕事。これは責任をもってやる。ここで終わりですからハイさようなら、というわけにはいかない。できたらまた来季活躍できるような選手、将来のベイスターズの柱になれるような選
手をぜひ指名したい。頑張りますよ」と意気込んだ。
高田氏は今後、球団から離れ、親会社のDeNAで経営への助言などを行なうフェローを務める。また、個人としては高校や大学での指導が可能な「学生野球資格」の回復を目指すという。「(プロ野球界で)50年だよ。23歳で大学を卒業してからずーっと現場、評論家から、こういうフロントの仕事も含めて50年…もう年齢を考えたらね。自分自身にご苦労さん、あとは好きなことをやりなさいよ、と言ったら、やっぱり野球だから」と話した。
高田GMの退任後、横浜DeNAはGM職を置かず、三原一晃球団代表が編成の責任者を兼務する。
(取材・撮影 ニッポン放送アナウンサー洗川雄司)
同席した三原一晃球団代表は「数年にわたって辞意を受け取っており、球団としてはそのたびに慰留させていただいていた」と明かした。
会見で高田GMは「ここ2、3年、体力的にも、精神的にも厳しいなと感じていた」と語り、「DeNAを引き受けた7年前に、3年でCS、5年で優勝、それから単発でなくて常に優勝できるチームをつくってくださいね、ということで頑張ってきたが、その約束も果たしていない。信頼していただいたオーナー、たくさんのベイスターズファンのみなさんに本当に申し訳なかった」と謝罪。
高田氏は2011年12月、横浜DeNAの新規球界参入が決まってGM職に就いたが、この7年間について「1年、1年チーム力、戦力が整ってきているな、という手ごたえは自分自身にもあった」と述べた。また『GM職をまだできたのでは?』との問いには「球団ブースで試合を観るというのは本当に大変だよ。本当に一生懸命だよ、勝ってもらいたい、勝ってもらいたい、という結果ですから。ファンの人もそうでしょうけど。チームをつくった責任者ですから」とGM職の重圧について語った。
今月25日のドラフト会議はGMとしての職責を全うするとのことで「ドラフトは自分の最後の仕事。これは責任をもってやる。ここで終わりですからハイさようなら、というわけにはいかない。できたらまた来季活躍できるような選手、将来のベイスターズの柱になれるような選
手をぜひ指名したい。頑張りますよ」と意気込んだ。
高田氏は今後、球団から離れ、親会社のDeNAで経営への助言などを行なうフェローを務める。また、個人としては高校や大学での指導が可能な「学生野球資格」の回復を目指すという。「(プロ野球界で)50年だよ。23歳で大学を卒業してからずーっと現場、評論家から、こういうフロントの仕事も含めて50年…もう年齢を考えたらね。自分自身にご苦労さん、あとは好きなことをやりなさいよ、と言ったら、やっぱり野球だから」と話した。
高田GMの退任後、横浜DeNAはGM職を置かず、三原一晃球団代表が編成の責任者を兼務する。
(取材・撮影 ニッポン放送アナウンサー洗川雄司)