明治神宮野球大会 4日目 第2試合
高校の部 準決勝
○ 札幌大谷 5 - 2 筑陽学園 ●
札幌大谷・右サイドスロー太田流星(2年・札幌大谷中)が8回までノーヒットノーランのピッチングを見せた。
最速でも125キロの背番号17番・太田は主にリリーフを務めており、今大会では初先発。味方打線から16安打5点の援護をもらったサイドハンドは、テンポ良く、右打者にのインコースにはシュートを使い、その他スライダー、カーブを織りまぜながら、内野ゴロの山を築く。気づけば8回までわずか85球、4四球で被安打0。
「2回くらいから自分でふざけて『(ノーヒットノーラン)あるよ、あるよ』とベンチで言っていて」と明かすなど飄々と自らチームを盛り立てていた太田。1974年の日大山形・金子隆投手以来、大会史上2人目のノーヒットノーランが期待されたが、9回裏、先頭の筑陽学園・2番の福島悠介(2年・筑陽学園中)に右前打を浴びる。ノーヒットノーランがなくなり、マウンドに野手の輪ができる中、苦笑いの太田。そこから3連打で2点を失ない、「最後はちょっともったいないなかった」と振り返った太田だったが、9回101球3被安打2奪三振4与四球で完投勝利。大会初出場の札幌大谷が決勝進出を決めた。
▼ 札幌大谷・太田流星
「2回くらいから自分でふざけて『(ノーヒットノーラン)あるよ、あるよ』とベンチで言っていて。本当に意識したのは7、8回から。9回はカーブを打たれた。甘めに入ってしまった。(初安打後マウンドに野手が集まり)世の中、甘くはないって(笑)。最後はちょっともったいなかった。(投球の)フォームは自己流。マウンドさばきやテンポは牧田さん(サンディエゴ・パドレス所属 牧田和久)を参考にさせてもらっています」。
▼ 9回、チーム初安打を放った筑陽学園・福島悠介
「1本も安打が出ていなかったので、とにかく塁に出ることを考えていた。(初安打は)変化球…チェンジアップだったのかな、と。(札幌大谷・太田のボールは)手元でちょっと動いてくる。それをぜんぶ引っ掛けていた感じ。シュートしながら落ちてくる感じです。(江口祐司監督から)バットを短く持ってコンパクトに、という指示はあった。最後の打席は指三本短く持ちました」。
(取材・文=ニッポン放送アナウンサー洗川雄司)
高校の部 準決勝
○ 札幌大谷 5 - 2 筑陽学園 ●
札幌大谷・右サイドスロー太田流星(2年・札幌大谷中)が8回までノーヒットノーランのピッチングを見せた。
最速でも125キロの背番号17番・太田は主にリリーフを務めており、今大会では初先発。味方打線から16安打5点の援護をもらったサイドハンドは、テンポ良く、右打者にのインコースにはシュートを使い、その他スライダー、カーブを織りまぜながら、内野ゴロの山を築く。気づけば8回までわずか85球、4四球で被安打0。
「2回くらいから自分でふざけて『(ノーヒットノーラン)あるよ、あるよ』とベンチで言っていて」と明かすなど飄々と自らチームを盛り立てていた太田。1974年の日大山形・金子隆投手以来、大会史上2人目のノーヒットノーランが期待されたが、9回裏、先頭の筑陽学園・2番の福島悠介(2年・筑陽学園中)に右前打を浴びる。ノーヒットノーランがなくなり、マウンドに野手の輪ができる中、苦笑いの太田。そこから3連打で2点を失ない、「最後はちょっともったいないなかった」と振り返った太田だったが、9回101球3被安打2奪三振4与四球で完投勝利。大会初出場の札幌大谷が決勝進出を決めた。
▼ 札幌大谷・太田流星
「2回くらいから自分でふざけて『(ノーヒットノーラン)あるよ、あるよ』とベンチで言っていて。本当に意識したのは7、8回から。9回はカーブを打たれた。甘めに入ってしまった。(初安打後マウンドに野手が集まり)世の中、甘くはないって(笑)。最後はちょっともったいなかった。(投球の)フォームは自己流。マウンドさばきやテンポは牧田さん(サンディエゴ・パドレス所属 牧田和久)を参考にさせてもらっています」。
▼ 9回、チーム初安打を放った筑陽学園・福島悠介
「1本も安打が出ていなかったので、とにかく塁に出ることを考えていた。(初安打は)変化球…チェンジアップだったのかな、と。(札幌大谷・太田のボールは)手元でちょっと動いてくる。それをぜんぶ引っ掛けていた感じ。シュートしながら落ちてくる感じです。(江口祐司監督から)バットを短く持ってコンパクトに、という指示はあった。最後の打席は指三本短く持ちました」。
(取材・文=ニッポン放送アナウンサー洗川雄司)