“平成の怪物”が平成最後のシーズンに復活
苦しみから這い上がり、見事な復活を遂げた選手に贈られるプロ野球の『カムバック賞』。今年は中日の松坂大輔が受賞した。
『カムバック賞』は日本野球機構(NPB)による正式なタイトルのひとつで、実は1974年からスタートしている。セ・パ各リーグで表彰されるものであるが、実際は「該当者なし」のシーズンも多く、パ・リーグではこれまでに受賞した選手が40年以上の歴史の中でわずか6人だけ。2001年の盛田幸妃(近鉄)を最後に受賞者が出ていないというから、あまり馴染みがないという人も多いのではないか。
松坂は言わずとしれた“平成の怪物”。かつての日本のエースも、2015年の日本球界復帰後は結果を残すことができず。ついに昨オフに自由契約となってしまう。それでも、テストから中日への入団を勝ち取ると、今季は11試合に登板して6勝4敗、防御率3.74と奮闘。12年ぶりとなるNPBでの白星を挙げるなど、復活した姿を見せた。
今季は間隔を空けながら慎重な起用が目立っていたが、来季はほかの先発投手と同じように中6日での登板を目指すという。完全復活に向けて期待も高まるところであるが、この『カムバック賞』を受賞した選手の“その後”はどうだったのかも気になるところ。1年限定の復活だったのか、はたまたその輝きを持続することができたのか…。今回は直近10年の受賞者の顔ぶれを見ながら振り返ってみた。
唯一のカムバック野手
2008年に『カムバック賞』を受賞したのが平野恵一。当時は阪神の所属だった。
平野はオリックス時代の2006年、試合中の守備でダイビングキャッチを試みた際にフェンスに激突。大きなケガを負い、長期離脱を強いられてしまった。
それでも、2008年にトレードで阪神へと移籍すると、115試合に出場して打率.263、47の犠打を記録。再びレギュラーとして輝きを取り戻して『カムバック賞』に輝くと、その翌年からは4年連続で130試合以上に出場。2010年には打率.350をマークする大活躍を見せた。
▼ 平野恵一(阪神)
2008年:115試 率.263 本1 点21 ☆カムバック賞受賞
2009年:132試 率.270 本0 点18
2010年:139試 率.350 本1 点24
※所属は受賞当時
岩瀬は結果を残して引退
平野のあとは3年間「該当者なし」が続き、2012年に大竹寛(当時広島)が4年ぶりの受賞を果たす。
大竹は2005年に初の2ケタ・10勝(12敗)をマークすると、ローテーションに定着。2009年には2度目の2ケタ勝利(10勝8敗)を達成するなど、ローテーションの一角として奮闘していた。ところが、2010年頃から右肩の故障に悩まされ、2010年~2011年は2年連続で1勝止まりと苦しい戦いが続く。
それでも、2012年に11勝5敗で防御率2.36と復活を果たし、『カムバック賞』を受賞。翌年も10勝10敗と貯金こそなかったものの、初となる2年連続の2ケタ勝利を達成している。
FAで巨人に移ると、特に近年は結果を残すことができていないだけに、来季は“2度目の復活”に賭けるシーズンとなる。
2015年に受賞したのは館山昌平(ヤクルト)。故障と手術を繰り返しながらもマウンドに登り続け、2015年は3年ぶりの勝利を含む6勝。チーム14年ぶりのリーグ制覇にも貢献した功績が讃えられた。
しかし、翌年はわずか1勝に終わるなど再び下降。ここ2年も未勝利が続いており、かつてのツバメのエースも正念場を迎えている。
そして、松坂の前の受賞者が2017年に岩瀬仁紀(中日)だ。
2014年に肘の故障で離脱となると、翌2015年は一軍登板ゼロ。2016年には一軍の舞台に戻るも、15試合で防御率6.10とらしくない成績に終わり、一時は引退説までささやかれるほどだった。
しかし、2017年は50試合の登板で3勝6敗2セーブ・26ホールド、防御率4.79と見事に復活。『カムバック賞』を受賞すると、引退を決意した今季も最終的には48試合に登板。通算1002試合・407セーブという日本記録を打ち立て、ユニフォームを脱いだ。
▼ 大竹 寛(広島)
2012年:24試 11勝5敗 防2.36 ☆カムバック賞受賞
2013年:25試 10勝10敗 防3.37
▼ 館山昌平(ヤクルト)
2015年:11試 6勝3敗 防2.89 ☆カムバック賞受賞
2016年:10試 1勝4敗 防7.24
▼ 岩瀬仁紀(中日)
2017年:50試 3勝6敗2セーブ・26ホールド 防4.79 ☆カムバック賞受賞
2018年:48試 2勝0敗3セーブ・10ホールド 防4.67
※所属は受賞当時