巨人に入団した岩隈久志(前マリナーズ)の背番号は21に決まった。
近鉄、楽天時代に背負った21を着けることになった岩隈は入団会見で「日本にいるときに21を着けさせてもらってやっていた。ジャイアンツで21番という番号を着けさせてもらえるというのは、本当にありがたみを感じてプレーしたいと思います」と感謝した。
近鉄時代の2003年からメジャー挑戦前の楽天時代まで9年間背負った背番号『21』。この背番号で、様々なことを経験した。
近鉄時代の04年に初めて最多勝、最優秀投手に輝いたが、同年球界再編問題で近鉄とオリックスが合併。楽天に移籍した05年は規定投球回に到達したが、防御率はリーグワースト。前年の大活躍から一転して悔しいシーズンとなった。翌06年と07年は右肩の故障に苦しみ、満足な成績を残すことができなかった。
長い暗いトンネルから抜け出したのが08年。開幕から白星を積み重ねた岩隈は、オールスター前に10勝に到達。その後も勝ち星を伸ばしていき、最終的にはリーグトップの21勝をマークした。防御率1.87、勝率.840とあわせて投手三冠に輝いた。その他、沢村賞、リーグMVPなど主要投手タイトルを独占。復活のシーズンとなった。
09年には13勝を挙げ、チーム初となるAクラス入りに大きく貢献。10年も10勝、近鉄、楽天で背負った“21”での9年間で、95勝を挙げるなど飛躍を遂げた。メジャーでは18を着けたが、再び“21”を背負うことになる。慣れ親しんだ背番号で復活を目指していく。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
近鉄、楽天時代に背負った21を着けることになった岩隈は入団会見で「日本にいるときに21を着けさせてもらってやっていた。ジャイアンツで21番という番号を着けさせてもらえるというのは、本当にありがたみを感じてプレーしたいと思います」と感謝した。
近鉄時代の2003年からメジャー挑戦前の楽天時代まで9年間背負った背番号『21』。この背番号で、様々なことを経験した。
近鉄時代の04年に初めて最多勝、最優秀投手に輝いたが、同年球界再編問題で近鉄とオリックスが合併。楽天に移籍した05年は規定投球回に到達したが、防御率はリーグワースト。前年の大活躍から一転して悔しいシーズンとなった。翌06年と07年は右肩の故障に苦しみ、満足な成績を残すことができなかった。
長い暗いトンネルから抜け出したのが08年。開幕から白星を積み重ねた岩隈は、オールスター前に10勝に到達。その後も勝ち星を伸ばしていき、最終的にはリーグトップの21勝をマークした。防御率1.87、勝率.840とあわせて投手三冠に輝いた。その他、沢村賞、リーグMVPなど主要投手タイトルを独占。復活のシーズンとなった。
09年には13勝を挙げ、チーム初となるAクラス入りに大きく貢献。10年も10勝、近鉄、楽天で背負った“21”での9年間で、95勝を挙げるなど飛躍を遂げた。メジャーでは18を着けたが、再び“21”を背負うことになる。慣れ親しんだ背番号で復活を目指していく。
(ニッポン放送ショウアップナイター)