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古巣で伝説を…五十嵐亮太にも“岩瀬超え”のチャンス

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ヤクルト復帰が決定的と言われている五十嵐亮太 (C) KYODO NEWS IMAGES

岩瀬がつくったもうひとつの大記録


 2018年、惜しまれつつも20年間のプロ野球選手人生に幕を下ろした中日の岩瀬仁紀。「通算1002試合登板」と「407セーブ」は、いずれも日本プロ野球の歴代最高記録。球界屈指のリリーフ投手として、歴史にその名を刻んだ。

 27日の昼、ベースボールキングでは“伝説超え”に期待がかかる2人の若きクローザーを紹介した。今年4月に史上最速で通算100セーブを達成したDeNA・山崎康晃と、史上最年少で通算100セーブを達成した楽天・松井裕樹である。

 彼らは岩瀬が持つ「407セーブ」の大記録を打ち破るかもしれない選手として名前が挙がったが、今回はもうひとつの大記録「1002試合登板」の更新に期待がかかる男を取り上げたい。来季からヤクルトでプレーすることが決定的となっている五十嵐亮太だ。


古巣でもう一花


 プロ18年目の戦いを終え、来年5月で40歳を迎える右腕。今オフにソフトバンクを自由契約となると、古巣であるヤクルトが獲得に名乗り。未だ球団からの正式発表はないものの、契約合意したことが複数メディアから伝えられている。

 五十嵐は1997年のドラフト2位でヤクルトに入団。2年目の1999年に一軍デビューを果たすと、その年36試合に登板するなど飛躍。以降はブルペンの柱として成長を遂げ、2004年には37セーブを挙げて最優秀救援投手のタイトルも獲得した。

 150キロを超える剛速球と、打者に立ち向かっていくスタイルが最大の魅力。ヤクルト時代には、現在はコーチを務めている石井弘寿とともに「ロケットボーイズ」の愛称で親しまれ、フル回転でチームを支えた。

 2009年のオフには、FA権を行使してメジャーリーグに挑戦。2010年から2012年までの3年間でメッツ、ブルージェイズ、ヤンキースと複数球団を渡り歩き、合計83試合に登板。海の向こうでもリリーフとして活躍を見せる。

 そんななか、2013年から日本に帰国。ソフトバンクに入団すると、3年連続で50試合以上に登板するなど新天地でもさすがの活躍を披露。ところが、2016年からは相次ぐ故障に悩まされ、登板数が減少。今季は23試合の登板で0勝1敗2ホールドという成績に終わると、チームが日本一連覇を達成した翌日に非情な宣告を受けた。

 もしヤクルト入団が正式に決まれば、2009年以来で10年ぶりの古巣復帰となる。ヤクルトはソフトバンクで同僚だった寺原隼人の加入も決まっており、近藤一樹のような移籍をキッカケに復活を果たした良い例もある。来季から一軍登録枠が「29」に増えることもあり、五十嵐にとってはチャンスと言える。


40歳から147試合に登板した岩瀬


 上述した通り、来季中に40歳を迎えるというベテラン右腕。ここまで日米通算で860試合(NPB:777試合・MLB:83試合)に登板しており、岩瀬が持つ最多登板数の記録までは“残り142試合”となっている。

 当然、1年で届く数字ではないが、40試合を4年間継続すれば超えられる数字。思い返してみると、岩瀬は44歳のシーズンまで登板しており、引退を決断した今季も48試合に登板。決して届かない数字ではないのだ。

 ちなみに、岩瀬は40歳を迎える2014年に34試合に登板。翌年は故障で全休となるも、2016年は15試合に登板を果たし、昨年が50試合、そして今年が48試合と、40歳以降だけで147試合に登板した。もちろん、岩瀬の強靭な身体に肩・肘、そして日々のケアがあったからこそではあるのだが、年齢とともにスタイルを変えながら一線級で投げ続け、諦めずに戦い続けたからこそたどり着いた大偉業だった。

 かつてツバメ軍団を支えてきた男は、古巣に帰って“伝説”を打ち破ることができるか。五十嵐亮太のプロ19年目の戦いから目が離せない。


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