東京五輪のメダル候補を襲った悲劇
12日の夕方に飛び込んできた衝撃のニュース。競泳日本女子のエースとして知られる池江璃花子選手(18)が『白血病』を患っていることを発表。1年後に迫った東京五輪の金メダル候補として大きな期待がかかっていたトップアスリートのまさかの告白に、日本中が言葉を失った。
『白血病』は「血液のがん」とも呼ばれる病気で、骨髄内で増殖した白血病細胞が正常な造血を阻害していくことで正常な血液細胞が減少。貧血や出血症状、免疫系のはたらきの低下によって感染症になりやすくなるといった弊害をもたらす。
『白血病』とひと口に言っても「骨髄性」や「リンパ性」といった種類があるが、現時点で池江選手の病状の詳細は明らかとなっていない。検査の結果を受けて、また体調を見ながら今後の方向性を決めるという。
『白血病』と闘ったプロ野球選手
実は野球界にも、かつて『白血病』と闘った選手がいる。オリックスや日本ハムでプレーした岩下修一という左腕投手だ。
浜松工業高から社会人の三菱重工名古屋、分離した三菱重工岡崎を経て、1999年のドラフト4位でオリックス(当時ブルーウェーブ)に入団。左のサイドハンドという変則フォームを武器に1年目から44試合に登板を果たすなど、その実力を発揮して見せる。
ところが、さらなる飛躍が期待された2年目のシーズン中に岩下を悲劇が襲う。7月、体調に異変を感じた左腕が病院を受診すると、待っていたのは『急性骨髄性白血病』の宣告。すぐに入院することになった。
それでも、計4度の抗がん剤投与を受け、副作用に苦しみながらも「もう一度マウンドに立つ」という強い気持ちで病と闘い、なんとその年の11月には退院。自主トレもこなして2月のキャンプからチームに合流を果たすと、アピールが実って開幕一軍の切符もゲット。2002年3月30日、大阪ドームで行われた近鉄との開幕戦で3番手としてマウンドに登り、1回1/3を投球。見事なカムバックを果たしたのだった。
その年は一軍で18試合に登板を果たすと、翌年も20試合に登板。ルーキーイヤー以来となる白星をマークするなど2勝を挙げた。2004年以降は登板機会を減らし、2005年のオフにはオリックスから戦力外通告を受けて退団。2006年はテストを経て日本ハムに入団するも、一軍登板は3試合に終わり再び戦力外に。そこで打撃投手に転向となり、現在も日本ハムに在籍している。
プロ7年間で通算98試合に登板した岩下だが、実は敗戦が一度もない。通算勝利も3つと実績的には目立つところはないものの、大病にも負けず、試合にも負けなかった投手として多くの野球ファンの心に残っている。
かつては“不治の病”というイメージもあった『白血病』だが、近年は医療の進歩によって根治の確率も飛躍的に向上している。
同じ病気と言っても、その症状や本人の身体の状態は様々なために無責任なことは言えないが、こうした“復活例”が過去にあるということは池江選手にとっても、見守るファンにとっても心強いことだろう。
池江選手にも、まずは病気との闘いにしっかりと打ち克ってもらい、それから再び元気に泳ぐ姿を見せてもらいたい。