米野智人さんインタビュー・前編
平成が終わる2019年。プロ野球ファンに「平成の名捕手と言えば?」と質問すれば、間違いなくこの男の名前が挙がるだろう。元ヤクルトの正捕手・古田敦也だ。
その古田が現役生活の晩年に差し掛かろうという頃、“ポスト古田”として大きな注目を集めた選手がいた。1999年のドラフト3位でヤクルトに入団した米野智人である。古田が選手兼監督に就任した2006年にはレギュラーとして116試合に出場。当初の期待通り、次代の正捕手としてのキャリアを歩みはじめたが、以降は故障などにも苦しめられてレギュラー定着とはならず。その後は西武、日本ハムと渡り歩いて、2016年に現役を引退するという決断を下した。
男はユニフォームを脱ぐ決断をした後、野球界には残っていない。現在は何をしているのかと言うと、なんと東京・下北沢にお店を構えているとのこと。今回は下北沢ではたらく米野さんの元を訪ね、インタビューを敢行。前編では野球人生のはじまりから、ヤクルトでレギュラーの座を掴むまでを振り返っていただいた。
捕手としてスタートした野球人生
―― 野球を本格的にはじめたのはいつ頃ですか?
チームに所属したのは小学4年生くらいでしたね。
父親が元々野球をやっていて、兄が本格的にチームに入ると、父親もコーチとして携わるようになって、その影響が大きかったです。最初は家族について行って遊ぶ感覚でした。
―― ほかのスポーツを考えたことは?
ちょうどサッカーが流行っていた時期で、実はサッカーを3年生ぐらいの時にやっていたんですよね。
ただ、気づいたら野球やってました。兄と父親にくっついていくうちにいつの間にか…という。
―― 野球をはじめた頃のポジションは?最初から捕手というわけでは……
それが、実はほとんど最初から捕手だったんですよね。
―― めずらしいですね!
ですよね(笑)
同じチームに肩の強い子がいて、僕も肩は強いほうだったので、コーチが「2人のどっちかがピッチャー、どっちかがキャッチャーだ」と。
―― テストのような形で?
ですね。コーチに向かって投げてみたんですけど、その方がもう一人の子がピッチャーだと。
それで僕がキャッチャーに。そこから捕手一本ですね。
―― 正直、やりたいポジションだったんでしょうか?
いや……あまりやりたいとは思っていなかったですよ(笑)
やっぱり、めんどくさいことも多いじゃないですが。
防具つけたり外したりとか……ね。正直。
―― やると決まってからは印象の変化などありましたか?
そうですね。でもよくボールに触れるポジションなので、それは良いなと。
元々好きだったわけではないですが、嫌いだったわけでもなかったので。
―― でも、ピッチャーとキャッチャーで言うと……?
本当の本当はピッチャーが良かったですよ(笑)
はじめた当初からあこがれだった「古田さん」
―― 子どものころ、捕手と言えばこの人だという人はいましたか?
やっぱり古田さんでしたね。
結果おなじチームでプレーすることになりましたけど、
僕が小学生の頃からスター選手でしたし、
捕手をすることになってより憧れも強かったです。
―― 捕手になりたての頃の苦労や、嬉しかったエピソードなどはありますか?
捕手としてというよりも、単純に野球をすることが楽しかったですよね。
試合に出て、打って、走って、守ってという。
―― 勝敗に直結するようなシーンも多いポジションかと思いますが……
子どもながらに試合には勝ちたいという気持ちは強かったと思います。
みんなで戦っていく中で、捕手はチームの中心ですから、やっぱり勝った時は嬉しかったです。
―― いつ頃から捕手に?という質問を考えていたのですが、そのまま中学・高校も捕手で?
そうでしたね。
高校は何校かお誘い頂いたところがあったんですが、それぞれ練習に参加させてもらったりして、最後は自分で決めました。
―― 北照高校を選んだ決め手は?
もちろん、強豪だったというのが一番。
あとはその北照が所属するのが“小樽支部”というところで、正直あまり強くないと言いますか、ライバルが少なかった(笑)
―― 甲子園に行くことを考えると、という?
やるからには甲子園に行きたいですからね。
北照なら道大会への予選で負けることはないかなとか考えながら。
夏だったら南北海道大会というのが予選の本戦になるわけですけど、そうすればだいたい4つ勝てば甲子園に行けると。
―― 道筋を逆算していたわけですね(笑)
例えば札幌支部だったら、もしかしたら予選で足元をすくわれることがあるかもしれない。
そんなことも考えながら、いろいろな要素から考えていたと思います。
―― では、さらにその先、プロ野球の世界を意識したのはいつ頃でしょうか。
高校2年の頃ですかね。
スカウトさんが来られるようになってから、徐々にそんな意識も芽生えました。
―― ヤクルトが熱心だったとか、そういうのは分かるんでしょうか?
いや、球団は分からなかったですね。当時は。
よく見る方だな~ぐらいの印象などはありましたけど、誰がどの球団とかは(分からなかった)。
―― ドラフトの当日はどのように過ごしましたか?
学校で見ていましたね。
指名があるかもということでテレビ局の方も来たりしていて、会見場のような場所でテレビを見ながら待っている感じでした。
―― 自身の名前が出たときというのは?
やっぱり嬉しかったですね。
小学生の頃はちょうどヤクルトと西武の日本シリーズとかも見ていたので、その印象もあって強いチームに入ったんだなという。古田さんも憧れでしたから。
―― “古田の後継者”や“ポスト古田”と言われていたことについては?
もちろん知っていましたし、入団する時には意識していました。
古田さんもベテランの域に入るところで、次のレギュラーを獲りたいなと。
これ以上ない手本となる先輩の下で学べるチームに入ることができたわけですからね。
プレッシャーというよりも、良いチームに入れたな、と。
―― その古田さんを間近で見た時の印象は?
やっぱりすごかったですよ。
テレビでも見ていましたけど、生で見るとやっぱりね。
自分との差は歴然としていましたし、そんなこと知ってはいたんですけど、より痛感したというか。
―― その壁を乗り越えていかなければならないと
自分の場合は高卒でしたからね。
まず高校とプロの差ってすごいですから。
まずは古田さんどうこうよりも、自分が早くプロのレベルになるぞということを考えていました。
―― 古田さん以外にも衝撃を受けた方はいましたか?
僕が入った頃は松井秀喜さんがまだ日本にいたので、近くで見たときはすごいなと思いましたね。
大きいですし、オーラがあるというか、風格があるというか。
実際に捕手として座って見たこともありましたけど、本当に存在感がすごかったです。
―― デビュー後は着実に力をつけ、2006年にはレギュラーとして活躍されました。
結局その1年しか、という感じではありますけどね。
―― 古田さんが兼任監督となって、捕手のポジションを任されたわけですが?
毎試合出られたという充実感はありましたよね。
失敗も多かったですけど、その中で成長が感じられたシーズンだったなと。
試合に出ることは大変だなと思いつつ、やっぱり試合に出てナンボだなという。充実した年でした。
―― 古田“監督”とのやり取りは?
試合中にアドバイスをもらうこともありましたし、その日じゃなくても翌日とか。
よく話はしていたと思います。それも勉強になりました。
⇒ 後編<突然のトレードから引退、そしてお店を開くまで>へつづく...(21日・12時公開予定)
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取材=尾崎直也
撮影=兼子愼一郎
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お店の情報
▼ 店名
NATURAL KITCHEN inning+(ナチュラルキッチンイニングプラス)
▼ 予約・お問い合わせ
03-5712-3588
▼ 住所
東京都世田谷区代田5-34-21 ハイランド202
▼ 営業時間
11:30~16:00
18:00~23:00
【日曜営業】
※日曜・祝日は11:30〜18:00
▼ 定休日
火曜日・毎月第3月曜日
(祝日の場合は営業、翌平日がお休み)
▼ 席数
23席
☆詳細は公式HPまで
元プロ野球選手に学ぶキャッチャー育成講座
“正捕手不在”――
現在の野球界にとって大きな課題となっている出来事の一つではないだろうか。
その要因として、”キャッチャーとは何か?”を教えられる指導者がいないことも大きいだろう。
「キャッチャーは専門職であり、経験者でないと教えられない。」と語るのは野村克也氏。
その野村氏が育てた名捕手・古田敦也氏から、直々に
“キャッチャーとは何か?”
を学んできた元ヤクルトスワローズの捕手・米野智人氏を講師に迎え、
キャッチング編・スローイング編・配球&戦略編の全3回に分けて開催する。
⇒ お申し込みはコチラのページから
▼ タイトル
元プロ野球選手に学ぶキャッチャー育成講座-vol.2-スローイング編
▼ 日時
2019年3月26日(火) 19:30~21:00
・当日のスケジュール
19:00 開場
19:30 講義開始
21:00 終了予定
▼ 会場
FROMONE SPORTS BASE
(〒104-0032東京都中央区八丁堀4-9-4)
※「八丁堀」駅・A1出口から徒歩1分
▼ 登壇者
米野 智人(よねの・ともひと)
1982年、北海道生まれ。
北照高校から1999年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。
強肩の捕手として「ポスト古田」と期待を集めた。
2001年に一軍初昇格、2002年に初安打、初めてのサヨナラ安打を記録した。
古田敦也が選手兼監督になった2006年に自己最多の116試合に出場し、7本塁打を放っている。
2010年シーズン途中に埼玉西武ライオンズに移籍。
2012年から外野手に転向した。
2016年に北海道日本ハムファイターズで選手兼コーチ補佐としてプレーしたのち引退。
現在は東京・下北沢でカフェレストラン「inning+(イニングプラス)」を経営している。
▼ こんな方におすすめ
・野球指導者
・プレイヤー(高校生以上)
・キャッチャーをやられている方
・他のポジションを守っているが、キャッチャーというポジションのことも知りたい方
▼ 参加費
学生:2000円
一般:4000円
▼ 定員
50名
▼ 持ち物
筆記用具
※学生の方は学生証もご持参ください。
▼ 主催
ウッチャエ(株式会社IforC)
FROMONE SPORTS ACADEMY運営事務局
▼ 協力
サッカーキング、ベースボールキング
☆注意事項・お問い合わせは以下のページでご確認ください。
⇒ https://fromone-sc.jp/academy/1255