フリーアナウンサーの節丸裕一が、スポーツ現場で取材したコラムを紹介。今回は、3月21日に行われた現役引退記者会見でイチローが語ったベースボールへの危機感について考えてみる。
3月21日深夜のイチロー現役引退会見。
「みなさまからの質問があれば、できるかぎりお答えしたいというふうに思っています」という本人の言葉通り、イチローの心がこもった回答が続き、およそ1時間半という異例の長さの記者会見となった。つめかけた記者、カメラマンはおよそ300人、テレビやインターネットを通じて会見を見たり聞いたりしたファンは数知れない。
今回の東京ドームが現役生活の見納めになるかもしれない。そう感じていたファンも少なくないはずだ。それは、3月20日の開幕戦の4回の守備で交代してベンチに下がる際、東京ドームの観衆の反応からも伝わって来た。おそらく、去年からその可能性を感じていた人は多いし、私も3月上旬にアリゾナに取材に行った際に、そうなるかもしれない、という雰囲気を感じた。だからこそ、日本での開幕シリーズ2試合は、是が非でも見逃してはいけない。そう思い、東京ドームに足を運んだ。そして、あの一生忘れることのないような会見にも居合わせることができた。
私はイチロー番と呼ばれる担当記者の方々のようにイチローをじっと見続けて来たわけではない。スプリングトレーニング、レギュラーシーズンの試合、MVPに選ばれた07年のオールスターゲームなど、現地で取材に当たったこともあるが、基本的には多くのファンと同じ目線で、テレビを通してプレーを見て、新聞などのメディアを通して彼の言葉に触れて来た。だから、私の質問はいたってシンプルだった。
「イチロー選手が愛を貫いてきた野球の魅力はどんなところでしょうか」 「イチロー選手がいない野球を、ファンはどんなところを楽しんだらいいでしょうか」
野球の魅力については、「団体競技なんですけど、個人競技だというところ。これは野球の面白いところだと思います。チームが勝てばそれがいいかというと、全然そういうことではない、個人としても結果を残さないと生きていくことはできないんですよね。その厳しさが、面白いというか魅力であるところは間違いないですね」そして「同じ瞬間がないということ。必ず、どの瞬間も違うということ。これは飽きがこないですよね」とも付け加えた。ここまでは、特に解説の必要もなく、おそらくほとんどのファンが言葉通りに理解できたと思う。2問目の答えは、私が想像していたよりもはるかにメッセージ性の強いものだった。
「2001年に僕がアメリカに来てから2019年現在の野球は、まったく違うものになりました。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。選手も現場にいる人たちもみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年、しばらくこの流れは止まらないと思うんですよ」
「本来は野球というのは…、ダメだな、これを言うとなんか問題になりそうだな。問題になりそうだな…」だが、ひと呼吸置くとすぐに語り出した。「頭を使わないとできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているというのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから、その野球がそうなってきている、ということに危機感を持っている人ってけっこういると思うんですよね。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので。せめてやっぱり日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います」
言い換えれば、最初に答えてくれた野球の魅力は「頭を使う野球」でもあったのだろう。それが失われつつあるという危機感。メジャーリーグの楽しみ方というより、いまのメジャーリーグへの大きな問題提起になっていた。
この答えの意味を正確に読み取るのは簡単ではない。私も細部までの確信は持てない。ただ、96年に初めて現地に足を運び、02年からMLBの実況を続けながら私が感じている変化は、極端なまでのデータ・確率重視、パワーとスピードなど個の能力に頼った野球。個々の選手が頭を使って考えなくても、指示された通りに動けばいい、確率の高いことをやり続ければいい。ともすれば、成功も失敗も確率論で片付けられてしまうような危うさを感じるのは事実だ。こうした野球の変化、その流れはどんどん加速しているようにさえ思える。 私はいままで、こうした変化に幾ばくかの戸惑いと違和感を感じながらも、この流れのなかでの投手、打者それぞれの対応の仕方、チームの戦略や戦術への関心が強かった。でも、それだけじゃいけない、と思わされるイチローの言葉だった。
選抜高校野球で、ノーサインの野球で健闘した徳島の富岡西高校。それは、監督の指示によらず、選手が自分たちで作戦まで考える「頭を使う野球」だった。記事を読むかぎり、この野球を体験した富岡西の選手たちは「面白い」と言って卒業して行くという。
野球の魅力は奥が深い。イチローが言う「頭を使う」という部分の大切さをあらためて意識しながら、これからの野球を見て行きたい。
3月21日深夜のイチロー現役引退会見。
「みなさまからの質問があれば、できるかぎりお答えしたいというふうに思っています」という本人の言葉通り、イチローの心がこもった回答が続き、およそ1時間半という異例の長さの記者会見となった。つめかけた記者、カメラマンはおよそ300人、テレビやインターネットを通じて会見を見たり聞いたりしたファンは数知れない。
今回の東京ドームが現役生活の見納めになるかもしれない。そう感じていたファンも少なくないはずだ。それは、3月20日の開幕戦の4回の守備で交代してベンチに下がる際、東京ドームの観衆の反応からも伝わって来た。おそらく、去年からその可能性を感じていた人は多いし、私も3月上旬にアリゾナに取材に行った際に、そうなるかもしれない、という雰囲気を感じた。だからこそ、日本での開幕シリーズ2試合は、是が非でも見逃してはいけない。そう思い、東京ドームに足を運んだ。そして、あの一生忘れることのないような会見にも居合わせることができた。
私はイチロー番と呼ばれる担当記者の方々のようにイチローをじっと見続けて来たわけではない。スプリングトレーニング、レギュラーシーズンの試合、MVPに選ばれた07年のオールスターゲームなど、現地で取材に当たったこともあるが、基本的には多くのファンと同じ目線で、テレビを通してプレーを見て、新聞などのメディアを通して彼の言葉に触れて来た。だから、私の質問はいたってシンプルだった。
「イチロー選手が愛を貫いてきた野球の魅力はどんなところでしょうか」 「イチロー選手がいない野球を、ファンはどんなところを楽しんだらいいでしょうか」
野球の魅力については、「団体競技なんですけど、個人競技だというところ。これは野球の面白いところだと思います。チームが勝てばそれがいいかというと、全然そういうことではない、個人としても結果を残さないと生きていくことはできないんですよね。その厳しさが、面白いというか魅力であるところは間違いないですね」そして「同じ瞬間がないということ。必ず、どの瞬間も違うということ。これは飽きがこないですよね」とも付け加えた。ここまでは、特に解説の必要もなく、おそらくほとんどのファンが言葉通りに理解できたと思う。2問目の答えは、私が想像していたよりもはるかにメッセージ性の強いものだった。
「2001年に僕がアメリカに来てから2019年現在の野球は、まったく違うものになりました。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。選手も現場にいる人たちもみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年、しばらくこの流れは止まらないと思うんですよ」
「本来は野球というのは…、ダメだな、これを言うとなんか問題になりそうだな。問題になりそうだな…」だが、ひと呼吸置くとすぐに語り出した。「頭を使わないとできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているというのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから、その野球がそうなってきている、ということに危機感を持っている人ってけっこういると思うんですよね。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので。せめてやっぱり日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います」
言い換えれば、最初に答えてくれた野球の魅力は「頭を使う野球」でもあったのだろう。それが失われつつあるという危機感。メジャーリーグの楽しみ方というより、いまのメジャーリーグへの大きな問題提起になっていた。
この答えの意味を正確に読み取るのは簡単ではない。私も細部までの確信は持てない。ただ、96年に初めて現地に足を運び、02年からMLBの実況を続けながら私が感じている変化は、極端なまでのデータ・確率重視、パワーとスピードなど個の能力に頼った野球。個々の選手が頭を使って考えなくても、指示された通りに動けばいい、確率の高いことをやり続ければいい。ともすれば、成功も失敗も確率論で片付けられてしまうような危うさを感じるのは事実だ。こうした野球の変化、その流れはどんどん加速しているようにさえ思える。 私はいままで、こうした変化に幾ばくかの戸惑いと違和感を感じながらも、この流れのなかでの投手、打者それぞれの対応の仕方、チームの戦略や戦術への関心が強かった。でも、それだけじゃいけない、と思わされるイチローの言葉だった。
選抜高校野球で、ノーサインの野球で健闘した徳島の富岡西高校。それは、監督の指示によらず、選手が自分たちで作戦まで考える「頭を使う野球」だった。記事を読むかぎり、この野球を体験した富岡西の選手たちは「面白い」と言って卒業して行くという。
野球の魅力は奥が深い。イチローが言う「頭を使う」という部分の大切さをあらためて意識しながら、これからの野球を見て行きたい。