98年に松島中学の監督として全国中学校軟式野球大会(全中)ベスト8。05年にはしらかし台中の監督として全中準優勝、松島中に戻った16年にも全中に出場するなど、中学軟式野球で輝かしい実績を誇る猿橋善宏先生。そんな猿橋先生に昨今の少年野球人口減少の原因の一つとも言われる、坊主頭の強制や体罰、勝利至上主義といった問題についてお話を伺いました。
――ここ2~3年でしょうか、「野球部はなぜ丸刈りなのか」という議論を目にする機会が増えてきました。中学野球では2年前に埼玉県川口市中体連が、そして今年に入ってから、高知県中体連が「強制的な丸刈りを禁止する」という規則を作りました。こうした流れをどのように見ていますか。
「松島中では、髪型を自由にしています。校則の範囲内であればオッケー。これは前任のしらかし台中でも、同じスタンスを取っていました。正直、丸刈りにすることにどこまでの意味があるのかなと思います」
――丸刈りだった時代はあるのですか。
「30年ほど前、教員になった当初だけです。ただし、当時は野球部に限らず、男子生徒全員が丸刈りの時代です。生徒指導や衛生面の観点から、丸刈りが当たり前。夜の繁華街を出歩いていれば、丸刈りであればすぐにわかりますから。でも、今はそんな時代ではありません」
――指導者に坊主頭の意味を聞くと、「野球に取り組むための覚悟」という考えも出てきます。
「中学生になったばかりの子どもたちに、どうして“覚悟”が必要なのでしょうか。ぼくは野球をやってきていないから感じるのかもしれませんが、外から見ると、野球の世界はハードルが高い。中学から野球を始めたいと思っている子でも、『野球部に入ったら丸刈りだから、どうしよう……』と躊躇する子もいます。これだけ野球人口が減ってきている中で、野球界自らが敷居を高くする必要はありません。始めるときのハードルは、できる限り低いほうがいいと思います」
――自我が芽生え始める中学生期に、丸刈りにすることで「さまざまな雑念を捨てる」という声も聞きます。生活や心の乱れは髪の毛に表れやすいとも言いますよね。
「“捨てる”という発想がもう教育ではないですよね。それは出家。教育とは、子どもたちが成長していくように、さまざまな取り組みを足していくことです」
――なるほど、納得の考えです。
「もちろん、自らの意志で丸刈りを選んでいるのであれば、それは尊重します。実際、汗をかきやすい夏場は髪の毛が短いほうが動きやすいし、楽ですよね。結局、大人が規制するものではないということです」
――部活動での体罰報道が増えていく中で、「勝利至上主義」への批判の声が高まっています。そもそも、「勝利至上主義」の定義そのものが難しいと思うのですが、猿橋先生はどう受け止めていますか。
「勝利のためなら、人格や人の想いなんて関係ない。生徒の人生や将来のことを考えずに、ただ勝つために競技力向上に力を入れる。これが、私の考える“勝利至上主義”です。でも、こんな考えで指導している部活動の先生には出会ったことがありません。勝利至上主義という言葉が、便利に使われているように感じます」
――チャンピオンを決める大会がある限り、スポーツには勝ち負けが必ずあります。
「だからこそ、本気で勝利を目指すことに意味が出てくる。どうすればよりよい結果に結びつくのか、弱者が強者を倒すことができるのか。そうした考えから、工夫が生まれてくるのです。そこで負けたとしても、一生懸命に取り組んだからこそ、得ることがある。悔し涙を流すことも、次の人生につながっていきます。勝者も、敗者のことを“グッドルーザー”として称えることができるわけです。それを『ただ、楽しく体を動かしましょう』では、得られるものが少ないのではないでしょうか」
――何をするにしても、勝利を目指す。
「ただし、目標だけでは組織としてまだ弱い。組織が向かう道標として“理念”が大事だと感じています。どんな行動をするにしても、理念に向かっているのかどうか。何か迷ったときや苦しいときに、はたして、理念に適した行動なのかと考えてみると、おのずと答えは見えてきます」
――松島中の理念は?
「“希望の野球”です。すべての行動が希望に向かっているのか。自分の成長につながっているのか。バックネット裏に、“希望の野球”と書いた横断幕を掲げています」
1961年生まれ、宮城県出身。東北学院大卒。学生時代は野球経験なし。身体が弱く、やりたくてもできなかった野球への想いを胸に指導者の道に進む。98年に松島中の監督として全国中学軟式野球大会(全中)ベスト8。2005年にはからかし台中(利府市)の監督として全中準優勝を果たす。12年に松島中に戻ると、16年に全中出場。担当教科は英語。
野球界は自らハードルを上げている
――ここ2~3年でしょうか、「野球部はなぜ丸刈りなのか」という議論を目にする機会が増えてきました。中学野球では2年前に埼玉県川口市中体連が、そして今年に入ってから、高知県中体連が「強制的な丸刈りを禁止する」という規則を作りました。こうした流れをどのように見ていますか。
「松島中では、髪型を自由にしています。校則の範囲内であればオッケー。これは前任のしらかし台中でも、同じスタンスを取っていました。正直、丸刈りにすることにどこまでの意味があるのかなと思います」
――丸刈りだった時代はあるのですか。
「30年ほど前、教員になった当初だけです。ただし、当時は野球部に限らず、男子生徒全員が丸刈りの時代です。生徒指導や衛生面の観点から、丸刈りが当たり前。夜の繁華街を出歩いていれば、丸刈りであればすぐにわかりますから。でも、今はそんな時代ではありません」
――指導者に坊主頭の意味を聞くと、「野球に取り組むための覚悟」という考えも出てきます。
「中学生になったばかりの子どもたちに、どうして“覚悟”が必要なのでしょうか。ぼくは野球をやってきていないから感じるのかもしれませんが、外から見ると、野球の世界はハードルが高い。中学から野球を始めたいと思っている子でも、『野球部に入ったら丸刈りだから、どうしよう……』と躊躇する子もいます。これだけ野球人口が減ってきている中で、野球界自らが敷居を高くする必要はありません。始めるときのハードルは、できる限り低いほうがいいと思います」
――自我が芽生え始める中学生期に、丸刈りにすることで「さまざまな雑念を捨てる」という声も聞きます。生活や心の乱れは髪の毛に表れやすいとも言いますよね。
「“捨てる”という発想がもう教育ではないですよね。それは出家。教育とは、子どもたちが成長していくように、さまざまな取り組みを足していくことです」
――なるほど、納得の考えです。
「もちろん、自らの意志で丸刈りを選んでいるのであれば、それは尊重します。実際、汗をかきやすい夏場は髪の毛が短いほうが動きやすいし、楽ですよね。結局、大人が規制するものではないということです」
本気で勝利を目指すことに意味がある
――部活動での体罰報道が増えていく中で、「勝利至上主義」への批判の声が高まっています。そもそも、「勝利至上主義」の定義そのものが難しいと思うのですが、猿橋先生はどう受け止めていますか。
「勝利のためなら、人格や人の想いなんて関係ない。生徒の人生や将来のことを考えずに、ただ勝つために競技力向上に力を入れる。これが、私の考える“勝利至上主義”です。でも、こんな考えで指導している部活動の先生には出会ったことがありません。勝利至上主義という言葉が、便利に使われているように感じます」
――チャンピオンを決める大会がある限り、スポーツには勝ち負けが必ずあります。
「だからこそ、本気で勝利を目指すことに意味が出てくる。どうすればよりよい結果に結びつくのか、弱者が強者を倒すことができるのか。そうした考えから、工夫が生まれてくるのです。そこで負けたとしても、一生懸命に取り組んだからこそ、得ることがある。悔し涙を流すことも、次の人生につながっていきます。勝者も、敗者のことを“グッドルーザー”として称えることができるわけです。それを『ただ、楽しく体を動かしましょう』では、得られるものが少ないのではないでしょうか」
――何をするにしても、勝利を目指す。
「ただし、目標だけでは組織としてまだ弱い。組織が向かう道標として“理念”が大事だと感じています。どんな行動をするにしても、理念に向かっているのかどうか。何か迷ったときや苦しいときに、はたして、理念に適した行動なのかと考えてみると、おのずと答えは見えてきます」
――松島中の理念は?
「“希望の野球”です。すべての行動が希望に向かっているのか。自分の成長につながっているのか。バックネット裏に、“希望の野球”と書いた横断幕を掲げています」
後編へ続きます。
(取材・写真:大利実)
猿橋善宏
1961年生まれ、宮城県出身。東北学院大卒。学生時代は野球経験なし。身体が弱く、やりたくてもできなかった野球への想いを胸に指導者の道に進む。98年に松島中の監督として全国中学軟式野球大会(全中)ベスト8。2005年にはからかし台中(利府市)の監督として全中準優勝を果たす。12年に松島中に戻ると、16年に全中出場。担当教科は英語。