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平成のTOKYO対決を振り返る~記憶に残る名珍場面~

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CS史上初のノーヒットノーランを達成しガッツポーズする巨人・菅野(C)KYODO NEWS IMAGES

平成東京対決の記憶


 首都“TOKYO”を本拠地とする2チームによる「平成最後の東京対決」が終了。ゴールデンウィーク(GW)も間近に迫り、31年つづいた平成もカウントダウンに入った。

 そこでベースボールキングでは、「平成の東京対決」を振り返るべく、平成のヤクルトと巨人を、その傍らで見続けてきた、ヤクルトファンとしても知られているスポーツライターの長谷川晶一さんと、巨人ファンとしても知られている野球ライターの中溝康隆さんに協力いただき、「記憶に残る平成の東京対決」について話を聞いた。

 ユーザーの皆さんにも、記憶に残る平成の東京対決を振り返りながら、記憶を呼び起こしていただき、それぞれの記憶に残る東京対決を投票、「平成の東京対決名珍場面」ベスト5を勝手に決めたいと思う。

【投票】記憶に残る平成の東京対決名珍場面



▼ 1990年(平成2年)4月7日『ギャオス、疑惑のホームラン』
≪長谷川さん≫
これはシーズンの開幕戦。ヤクルトのギャオス内藤さんが先発して好投していたけど、巨人・篠塚さんにポール際にフェアかファールかの打球を打たれて、結局ホームランになって負けた。

この試合をキッカケに東京ドームのポールが白から黄色になったんです。白いポールに白いボールということで、当時は映像で見てもわからなかったんだけど、これをきっかけに黄色になったことで、不透明な判定がだいぶ減った。

ヤクルトにとっては開幕早々に疑惑のホームラン。後に篠塚さんにインタビューをしたんですけど、「あれはファールだった」と。ヤクルトは野村監督が就任した最初の年で、いきなり幸先の悪いスタートということだったので、これは覚えてますね。


▼ 1992年(平成4年)7月5日『荒井ポカリ事件』
≪中溝さん≫
野村監督が荒井幸雄さんの頭を殴ったのも巨人戦。明治神宮野球場で行われた試合で、バントのサインの確認を怠った荒井さんが、タイムをかけた野村監督にネクストバッターズサークルで頭を叩かれたやつですね。翌日ナインには謝罪したらしいですが、あの百戦錬磨のノムさんでさえライバル巨人戦ではここまで熱くなるんだなと。僕は荒井ポカリ事件って呼んでます(笑)


▼ 1992年(平成4年)7月5日『原辰徳のバット投げ』
≪中溝さん≫
平成の「4番・原辰徳」が最も輝いたという意味で自分的にはこれがマスト。確か首位攻防で、9回2点差でランナーが一塁、試合を振り出しに戻す一発。この時の映像を見返すと、直前に内角をえぐられてて、ブラッシュボールで原さんが尻もちついたりしているなかでの怒りのホームラン。古田さんがえぐいんですよね(笑)それに対して珍しく背番号8が怒りを露わにしてレフトスタンドに叩き込み、ドヤ顔でバットを放り投げる。本当にカッコよかったなあ……。結局、この年は野村ヤクルトが優勝するんだけど、この試合には勝って首位に並ぶんですよ。

≪長谷川さん≫
原辰徳の「バット投げ」は巨人ファンにとってはよく出てくるシーンだと思います。ヤクルト・伊東昭光さんが、終盤に打たれた完璧なホームラン。ジャイアンツファンの中ではもちろん忘れられないシーンだし、爆笑問題の田中裕二さんとかも、このシーンのモノマネとかしてますからね。

好きな人は好きなんだろうけど、一部ではマナーとしてはどうなんだと。それまでにいろんな悔しい思いがあった中での一発。あそこでバットを投げるというのは相手投手に対する敬意を欠いたのではないかと。僕はヤクルトファンとして敬意云々というところまでは思わなかったけど、ただ圧倒的に悔しかったのは覚えている。


▼ 1993年(平成5年)5月2日『松井のプロ初ホームラン』
≪中溝さん≫
東京ドームの巨人-ヤクルトの名シーンと言えば、松井秀喜が高津からプロ初ホームランを打った試合。あれは、長嶋監督がGWに合わせて松井を昇格させて、前日の5月1日に「7番・レフト」でデビューさせたんですよ。で、その日にタイムリー二塁打を放っていきなりお立ち台に上がった。

その翌日に、色々なところで語られているけど、野村監督の指示で古田が高津に真っすぐのサインを出し続けて打たれた。そしたら、ノムさんは本当に打たれちゃったよみたいな。このシーン、テレビの瞬間最高視聴率は39.5%を記録したらしいです。本当に当時は日本中が長嶋巨人と18歳のスラッガー松井に注目していた。この後、両チームの対戦は古田対松井の印象が強くなっていきますよね。


▼ 1993年(平成5年)6月9日『伊藤智仁16Kと篠塚のサヨナラ』
≪長谷川さん≫
これは、石川県営金沢野球場での一戦でしたね。地方球場で、当時の“ゴールデンルーキー”伊藤智仁が16奪三振という快投を見せるけど、最後の最後に篠塚さんにサヨナラ弾を食らってしまう。

この場面については伊藤さんと篠塚さんにそれぞれ話を伺ったことがある。古田さんにも野村克也さんにも話を聞いたんですけど、「これはもう誰も責められない」と言っていた。

打った篠塚さんも凄かったし、打たれた伊藤智仁さんの投球数は150球くらいいってたのかな。かなりの球数だったし、古田さんは「もうちょっと注意しなきゃいけなかった」って言っていたけど、しょうがないかなと思った。とにかく伊藤智仁の凄さがわかった試合でしたね。


▼ 1994年(平成6年)5月11日『中西とグラッデンの乱闘』
≪長谷川さん≫
前年にヤクルトが日本一になって、95年にもヤクルトが日本一になるんですけど、この年は巨人が日本一になる。このシーズンはヤクルトと巨人がずっとライバル対決みたいな感じで、単純に野村監督と長嶋監督の現役時代から引きずる因縁みたいなものが、お互い監督になってからももたらされた。

この頃の神宮は私もよく行ってましたけど、たしかに巨人戦は殺伐としてたんですよ。この日のヤクルトの先発は西村龍次だったんですけど、もうインコースに当ててもいいってくらいどんどん投げてて、いろんな伏線があった。火種はあっていつ爆発するかという状況で中西&グラッデンの乱闘。グラッデンは退場して、途中交代の中西親志さんは神宮球場近くの慶応病院に行ったんですよね。そしたらそこで2人が鉢合わせしたっていう(笑)、気まずい瞬間があったと聞きましたね。


≪中溝さん≫
グラッデンと中西さんの殴り合いは鉄板ですね(笑)野村ヤクルトと長嶋巨人は、ちょっと昭和の野球っぽい。感情むき出しというか、何が起こるのか分からない、すごく危険な匂いがした。ファンもそのヒリヒリ感を共有してましたよね。いまグラッデンと中西の事件が起こったらネットやSNSは大炎上するし、長期間出場停止じゃないかな(笑) 危険球のルールもそこからですもんね。球史はそこから変わっている。


▼ 1995年(平成7年)9月9日『ブロスのノーノー』
≪長谷川さん≫
このときは巨人打線はもう打てないだろうな、って見てたのを覚えてます。この年はヤクルトが日本一になるんですが、このノーノーが9月。確実にペナント制覇、日本一奪還へ向けて勢いが生まれたシーンだった。


▼ 1997年(平成9年)4月4日『小早川の開幕戦3連発』
≪長谷川さん≫
前年にカープをクビになった小早川さんがこの年から入ってきて、いきなり開幕戦で3本打った。このシーンについては小早川さんにかなり長いインタビューをしたんですけど、相手先発・斎藤雅樹の配球を完全に読んで、3本とも必然性のあるホームランだったと。

1本目はこれが来る、2本目は前の打席を踏まえて狙った、3本目も読んで打った。全部違う球種だったんですが、それぞれ根拠のある狙い打ちだった。

それは野村監督がちゃんと指示を出して、小早川さんは半信半疑だったけど、監督がそこまでいうならと信じて、結果を出した。ヤクルトはこの年優勝したんですが、開幕戦から勢いに乗ったということで印象的なシーンでした。


▼ 1998年(平成10年)4月3日『高橋由伸のプロデビュー戦』
≪中溝さん≫
個人的にすごく印象深いのが、98年の4月3日、由伸のプロデビュー戦が神宮のヤクルト戦なんですよ。で、その日は由伸の誕生日。ちょうど大学入学で引っ越して家具を組み立てながらテレビをみていた俺は、ワクワクしながらなんか新しいスター選手の誕生の瞬間を見ているような感覚というか、「この選手は平成のスーパースターになるんだろうな」「やっぱ慶應を出て神宮でデビューなのか!」みたいなことを思ったのを覚えています。


▼ 1999年(平成11年)10月5日『上原が涙のペタジーニ敬遠』
≪長谷川さん≫
これは上原がルーキーイヤーのシーズン。パ・リーグでは松坂大輔、セ・リーグでは上原浩治が大活躍した。ヤクルトファンではあるんだけど、上原っていいピッチャーだなって惚れ惚れして見ていた。

この日は松井秀喜とペタジーニが本塁打王を争う(松井が41本、ペタジーニが42本)なかでの敬遠だったんですよね。当時球場にいたんですけど、ブーイングは凄かった。その時はまさかマウンド上で涙ぐんでいるなんてことは知らなかったので、家に帰ってスポーツニュースを見て事実を知ったんです。

ピッチャーとしては当然だよな、でもルーキーとしては従わざるを得ないよな…って同情っていうと語弊があるんですけど、どこかシンパシーのようなものを感じたので、よく覚えています。

ヤクルトを中心に12球団まんべんなく見ていたし、そんな中でも個人的な感情が見える選手っていうのは好きだった。上原はまさにそういう選手だった。


≪中溝さん≫
上原が泣きながらペタジーニを敬遠したのも神宮でしたね。あれは41号ホームランを打った松井が直前の6回の打席で敬遠されて、ならば巨人としてはタイトル争いのライバル・ペタジーニも敬遠しようみたいな流れだったのかな。

あの年のペタジーニはまさに最強助っ人という感じで、どこに投げても打たれるような雰囲気があったのも確かです。松井とペタジーニの本塁打王争いに、それに絡むルーキー上原も20勝がかかっていたという。テレビ実況の「汗と涙が混じってます!」という言葉がすごく印象に残ってる。その上原が44歳になって令和の神宮で投げるっていうのは今シーズン見てみたいですよね。


▼ 2001年(平成13年)5月22日『藤井秀悟の涙』
≪長谷川さん≫
これはテレビで見てて明らかに異変を感じたので、何があったのかと画面を凝視したのを覚えている。

いわゆる暗黙のルールを破った(大差で勝っているにもかかわらず内野ゴロで全力疾走した)ということで、巨人ベンチからものすごい野次が飛んだらしいんです。野次を飛ばす巨人もかっこ悪いけど、マウンド上で泣く藤井も格好悪いなと思って、これはどっちにも感情移入できなかった(笑)

堂々とスルーできない藤井の若さ。この年に最多勝もとるんですけど、この時点では、まだローテーションの中の1人だった。先発投手がいないヤクルトにとって、本当に頼りになる存在だったのに、こういうところで涙を流して、このあと制球を乱すんですよ。。

それを見て、まだまだ一皮二皮剥けないといけないなと思いましたね。当時の新聞記事によると、「わかってねーだろ」みたいなことを清原に言われて、元木だとか周りにはしゃぎ立てられたということみたい。


▼ 2002年(平成14年)10月10日『五十嵐の全球直球と松井のラストアーチ』
≪中溝さん≫
これも鉄板と言えば鉄板だけど、2002年の松井秀喜が五十嵐亮太から50号ホームランを放った試合。全球ストレート勝負でファウルが続きながら、最後は150キロの直球を東京ドームのレフトスタンドに弾き返した場面。

あの打席は直前にキャッチャーのファールフライ落球とか色々ドラマがありましたが、やっぱり、五十嵐亮太の“助演男優ぶり”が光ったというか、松井にとってもNPBでの最後のホームランで、ある意味、日本でのハイライトになった試合だと思う。平成31年間、日本人打者で50本塁打に到達したのは、この年の松井ただひとりですからね。本当に価値のある一発だったなと。


▼ 2008年(平成20年)3月28日『坂本勇人が19歳で開幕スタメン』
≪中溝さん≫
思い出のシーンという部分では、坂本が19歳の2年目のときに、初めての開幕スタメンがヤクルトとの神宮での開幕戦だった。以前、TOKYOシリーズのパンフレット執筆で「神宮球場の思い出」を聞いたら、坂本本人もこの試合を挙げて「めちゃくちゃ緊張した」と。

当時の巨人って小笠原、ラミレス、阿部慎之助もバリバリで、ようはスター軍団の中で当時19歳の坂本がある意味プロのキャリアをスタートさせた。本人にとってもチームにとっても、その後の巨人のターニングポイントになった試合でもあったと思う。


▼ 2008年(平成20年)5月3日『村中のノーノー未遂』
≪長谷川さん≫
この日はGWで、ヤクルトアトムズの復刻ユニフォーム付きチケットが売り出された日だったんですよ。9回表一死までノーヒット。選手たちも復刻ユニフォームを着用していたんですけど、このユニフォームを着てノーヒットノーランが見られるのか!? みたいにドキドキしてた。

ところが、亀井善行に二塁打を打たれて、その後、代打・大道に決勝打を許し、最後は五十嵐亮太が阿部慎之助に3ランを打たれて負ける。この肩透かし感というか、はしごを外された感じ。

呆然として神宮から新宿方面に歩いて帰った光景を覚えてます。タラレバになりますけど、ここでノーヒットノーランを達成していたら、村中のキャリアも違ったものになったのかなと思いますね。いまはちょっと首が寒くなってきて、今季あたりどうかなっていう状況ですけど、ここで勝ってたら変わってたのかなと。


▼ 2012年(平成24年)9月21日『巨人のリーグ制覇』
≪中溝さん≫
巨人-ヤクルトの東京ドームで言えば、2012年優勝決定がドームのこのカードで、最後はファースト雄平が飛び出して、キャッチャー阿部が送球してタッチアウトで優勝が決まった。東京ドームで観戦していて、「えっ? 優勝決まったの?」みたいに観客も一瞬戸惑ったのを覚えてます(笑)


▼ 2014年(平成26年)4月16日『マシソンvs.バレンティン』
≪中溝さん≫
90年代前半から中盤の巨人-ヤクルトのテンションは、やっぱちょっと異常だった。現代だと、マシソンとバレンティンの対戦がすごい好きで、よく揉めていた。

一度乱闘っぽくなったのが、14年4月に神宮で行われた試合で、9回裏二死走者なしからバレンティンがマシソンから試合を振り出しに戻すソロを打って、ベースを一周しているバレンティンとマシソンが言い合いをして、ホームイン直後も口論となったんですよね。

それで、両軍のベンチからみんな飛び出てきた。乱闘にはならなかったんですけど、マシソン-バレンティンって、いま見れる90年代の巨人-ヤクルトというか、あれはオールドファンにも今のファンにもおススメしたい。あそこで昔だったら、バレンティンが止めに入った阿部慎之助を殴ってたわけですからね(笑)


▼ 2015年(平成27年)9月27日『石川雅規、投打に活躍』
≪長谷川さん≫
この年にヤクルトは優勝するんですけど、セ・リーグは9月に入ってもどこも抜け出せない中で、ヤクルトがこの試合に勝って頭一つ抜け出すんですよ。これに勝ってヤクルトにマジック「3」が点灯する。

この場面は石川さんに後にインタビューしたんですけど、発熱してたんですよね。扁桃腺を腫らしてて本調子ではない中で、しかも中4日で志願の登板。相手は菅野だったんですけど、巨人打線を抑えて、なおかつ決勝打まで放った。

石川にも「勝ち」がついてマジック「3」も点灯して、ヤクルトがそのまま優勝する。石川はベビーフェイスだし小柄だから、闘志あふれる投手という感じでは見られないんだけど、実は内に秘めたる思いはすごい。
 
後に投手コーチになる伊藤智仁さんが「2000年代のヤクルトを支えた石川は大エースだ」と言っていたことを実感できた試合でしたね。


▼ 2018年(平成30年)10月14日『菅野がCSでノーノ―』
≪中溝さん≫
由伸ジャイアンツのベストゲームは、間違いなく去年のCS第2戦の菅野のノーヒットノーランですよね。普段はバックネット裏2階席からひとりで観戦することが多いんですが、この日は巨人ファン何人かで集まって、同年代の編集者やスタイリストの伊賀大介さんらとレフト外野席に近い席で見てた。

最後はマウンド上でスガコバが抱き合って、客席じゃアラフォーのおじさん同士で抱き合ってみたいな(笑)近年のエース菅野は成績は凄いんだけど、ここ一番の大勝負で弱いイメージを払拭してくれたのも嬉しかった。この試合があるとないとじゃ、由伸監督のキャリアの印象もだいぶ違ったと思う。色々な意味で未来につながる1勝でしたよね。


≪長谷川さん≫
平成31年間からまんべんなく選ぼうかと思ったんですけど、2000年代はあんまりパッと浮かぶようなものがなかった。

古田監督時代とか髙田監督時代も「巨人はライバルだ」と言っていたけど、ノムさん長嶋さんのときのヒリヒリした感じとか、この頃に長嶋一茂がジャイアンツ行くという話もあったりとかして、本当にピリピリしていたんですよね。

当時巨人のマネージャーを務めていた方の本を書いたんですけど、日記を見せてもらうとヤクルト戦についてはほかのチーム以上にミーティングに時間を費やしているんですよ。あとマネージャーからみた長嶋さんの様子みたいなものが日記に書かれているんですけど、はっきりと口に出して「ヤクルトだけには負けられない」とか、徹底的に「闘争心を失うな」とか、そういうことを選手に伝えている。

ノムさんはノムさんで“一生、長嶋コンプレックス”を持っているから、それが見ている我々にも伝わっていたから、結果的に僕は野村時代が多くなっちゃいましたね。


≪中溝さん≫
巨人にとってヤクルト戦って由伸のデビューも、坂本のプロ初スタメンも、巨人のスター選手のキャリアの分岐点となる試合が多い。松井のプロ初ホームランもそうだし、日本最後のホームランもヤクルト戦だった。最初と最後が東京ドームの巨人-ヤクルト。

90年代の黄金カードだったことは間違いない。優勝争いがあり、名場面が数多くあり、もちろん意地の張り合いもあって、長嶋-野村の時代は本当の意味でのガチンコの東京ダービーが見れた試合。

ちょうどFAが始まったタイミングで、巨人がヤクルトから選手をとりまくるっていうアングルもあり、そういういろんな感情や因縁が絡み合って最高のカードだった。だから令和にもその熱さを期待したいですよね。

【投票】記憶に残る平成の東京対決名珍場面



 ここからヤクルトは12連戦、巨人は10連戦に臨み、5月10日(金)から「令和最初の東京シリーズ」を迎えることになる。間近に迫った新時代、東京に本拠地を置く両チームによる、新たな“東京対決”に期待したい。
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