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ベイスターズのレジェンドOBが暴露話満載のトークショーでチームにエール「今年はチャンス」

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トークショーで数々の暴露話を展開した佐々木氏(左)と牛島氏(右)

佐々木主浩氏と牛島和彦氏が登場


 ベイスターズは『70th ANNIVERSARY PROJECT』の一環として、『70th ANNIVERSARY GAME』を、8月10,11日の両日に開催。この2試合は38年振りの日本一にも輝いた1990年代から、もがき苦しんだ2000年代にフォーカス。10日の試合前には大魔神・佐々木主浩氏を、11日には牛島和彦氏を迎え、両日ともに『4522敗の記憶』の著者の村瀬秀信氏をゲストスピーカーとして『70th ANNIVERSARYトークショー』を行った。


大魔神「本当は残りたかった」


 10日のゲストとして登場した佐々木氏は優勝時の思い出を中心にトークを広げた。

 優勝前年の97年から「大矢監督の下、野球を勉強した」とし、残念ながらその年は優勝を逃したが「そのプレッシャーなどの経験から、戦い方が分かってきた」ことが翌年の栄冠につながったと振り返った。

 自身の98年は「調子のいい時はなかった。身体はボロボロで、気持ちで投げていた」ことを告白。45セーブ、防御率0.64と圧倒的な成績で守護神として活躍していただけに、会場のファンは驚きの声を上げていた。

 また、谷繫元信氏とバッテリーを組まなかったことについては、「下手糞だったから」とバッサリ。しかし「キャンプで必死に練習して上手くなった。次第に“シゲじゃなきゃダメ”となっていった」と明かした。

 98年は「石井(琢朗)と波留(敏夫)の2人でサイン決めてやっていた」など、いまでは考えられない野球をしていたといい、チームは「野球に対してはひとつになるが、他はバラバラ」と、いい意味で“大人のチーム”であったことを振り返った。

 優勝メンバーが一人、二人と抜けて行ったなか、佐々木氏もメジャーへ活躍の場を移したが「本当は横浜に残りたかった。複数年契約をお願いしたが、“お前の好きにしていいぞ”と言われ、嫌々出ていった」と爆弾発言も。優勝を経験したことで夢の実現させるために渡米したとばかり思っていたファンは驚いた様子だった。

 その後も、「優勝した試合、ブルペンから“逆転したら行きますか?”と、権藤監督に電話したら、“行かない”と言われたが、突然コールされた」、「優勝インタビューで“38年後に会いましょう”と波留が言ったから、まだ優勝できない」、「夏場に調子を落とす山崎康晃には、4月から飛ばすからダメと言った」など、数々の秘話を披露し、会場を沸かした。


牛島ベイスターズAクラスへの軌跡


 11日のゲストとして登場した牛島氏は、2005年からの監督時のエピソードを中心にトークを展開。3年連続で最下位だったチームを任された際、「優勝を経験していた選手たちはもうベテラン。ケガをさせないように気をつけた」とし、打撃のチームだったが「投手陣が良くなれば、そうそう点は取れない。8点取られるような野球をしているから点が取れるだけ」と冷静に分析した結果、『2番小池』が誕生したと明かした。

 「選手が納得するまで話し合った」ことで、打撃不振だった佐伯貴弘には「辛抱強くやってくれ」と任し、制球力に不安があったマーク・クルーンには「横回転から縦回転」に矯正するなどしたことで、チームは一丸となりAクラスに食い込めたと振り返った。

 他には、不調の村田を交流戦で9番に据え、「9番の次は何番だかわかってるな?」との問いに、「1番ですか?」と答えた村田に「ベンチじゃ」と即答した“ベイスターズ小噺”は事実であることを明かした。

 その上で、同じ境遇で9番に据えられた吉村裕基に対し、先輩の村田が同じ質問すると同じ答えが返ってきたため、牛島監督に「あいつアホですよ」と報告してきた村田に、「吉村は足が早いから1番あるで」と、小噺には続きがあること明かすなど、大爆笑のトークショーだった。

 両OBとも「チームに力はある。8月、9月を乗り越えて」とエールを送った。メモリアルイヤーに歴史を紡いだレジェンドたちも、歓喜の瞬間を心待ちにしている。


取材・文=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)
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