プロ入り時は底辺レベルの選手
通算26年の現役生活にピリオドを打ったロッテの福浦和也選手。球団最多の通算2235試合に出場し、球団通算3位の通算2000安打を記録するなど、まさに“マリーンズのレジェント”と呼べる選手だ。通算2000安打の達成直前に福浦の“凄さ”、現役引退前に福浦との“思い出”や“エピソード”を聞いた中で、福浦がどういった選手だったのかを振り返っていきたい。
福浦は習志野高から93年ドラフト7位でロッテに投手として入団。与えられた背番号も『70』と、大きな期待を背負って華々しくプロ入りしたわけではなかった。同期入団で現在ロッテの二軍投手コーチを務める小野晋吾コーチは、「僕にしても福浦にしても、(入団した頃は)プロ野球選手として本当に底辺レベルの選手だったと思うんですよ。同じピッチャーとして入ってトレーニングを一緒にやっていたのですが、正直、僕よりも体力はなかった」と当時を振り返る。
入団1年目に打者への転向を決意した福浦は“努力”を積み重ねていき、入団4年目の97年7月に一軍初昇格を果たすと、デビュー戦でプロ初安打をマーク。01年に首位打者、同年から6年連続で打率3割を記録し、球界を代表する“安打製造機”となった。
「底辺レベルから偉業を成し遂げるところまでいったというところが、僕の中ではスゴいことだと思います」(小野コーチ)
着実に一本一本安打を積み重ねていき、プロ25年目の昨季プロ通算2000安打という偉業を成し遂げた。
努力と準備の男
近年は代打での生活が中心となったが、練習量は変わらず、試合に臨む姿勢から準備に至るまで、手を抜くことは一切なかった。
チームリーダーの鈴木大地が「練習に入る準備、練習内容、毎日変わらず同じ事をやっているというのはスゴい。技術もそうなんですけど、そういうのがあるからこそ長くやれていると思います」と話せば、伊志嶺翔大も「一番は準備ですかね。何事にも準備を怠らない方なので、そういうところは見て学びました」と福浦の凄さについて語った。
途中出場が多い三木亮は「ゲームに対する準備の仕方は見ていて勉強になります。一つひとつの準備の仕方に無駄がないというか、そういうのは見ていて僕が一番感じたことですね。準備に対する心構えじゃないですけど、しっかり準備することの重要性は、福浦さんと野球をやっている中で再認識した部分ではあります」とベンチで過ごす中で、福浦の野球姿勢、凄さを肌で感じた。
福浦の準備の凄さを感じていたのは、野手だけではない。今季先発、リリーフにフル回転した西野勇士は「僕は福浦さんの野球に対する姿勢をずっと見てきて、準備というところだったりを、すごく尊敬しています。本当に長くやる選手の必要なことというのを口で言わずとも、背中や姿で学ばせてもらったかなと思います」と話すなど、チーム全体に福浦が体現する“準備の大切さ”が浸透した。
人柄の良さ
“準備力”の他に選手が多く口にしていたのは“人柄”。数多くの記録を打ち立てた偉大な選手でありながら、若手選手にも気さくに声をかけたりと、話しやすい雰囲気があったという。
ルーキーの松田進は「親身になって1年目とか関係なくバッティングで悩んでいても、こういう感じですかねと気さくに話しかけられる。一緒にノックを受けたりとか、フランクに接していただいて、大ベテランの超有名選手なのに優しくしていただきました」と感謝する。
2年目の左腕・山本大貴は「試合中でもベンチから『まっすぐいけ!まっすぐ』と声をかけてくださったり、『左で140キロ後半を投げていたピッチャーが、なんでまっすぐいかないんだよ!』と叱咤激励をいただいた。まっすぐで抑えたときは、福浦さんに『ほら言った通りだろ』と声をかけていただいた」と福浦の言葉をきっかけに自信をつかんだ。
4年目の成田翔も「試合中もいろいろとアドバイスをくれたり、声をかけていただいている。自分も嬉しいですし、参考になることもたくさんありました」と打者目線で話す福浦の言葉を聞いて勉強になったという。
さらに、シーズンオフに2年連続で福浦の自主トレに参加した5年目の香月一也は、「どの選手に聞いても福浦さんを悪く言う人はいないと思います。人間としての器が一番大きいと思いますね」と話した。香月が話した“悪く言う人はいない”、この言葉が福浦の人柄の良さを示しているのではないだろうか。
後輩から慕われ、尊敬された“幕張の安打製造機”。福浦が後輩たちに見せた姿・人柄は、後輩たちに受け継がれていくはずだ。
取材・文=岩下雄太