元“守護神”永川が先発で引退登板
9月23日、マツダスタジアムで行われた中日戦。広島でクローザーとして一時代を築いた永川勝浩が現役最後の登板を行った。引退試合ということもあり、定位置だった9回ではなく2004年以来、実に15年ぶりの先発としてマウンドに登った永川。中日の先頭打者である大島洋平に対してのみの投球だったが、きっちりと凡打に抑え、有終の美を飾っている。
そんな永川は2002年のドラフト会議で自由枠を用い、亜細亜大から広島へと入団した。1年目から一軍で起用され、シーズン中盤からクローザーに昇格すると、40試合登板で25セーブをマーク。木佐貫洋(巨人)や村田修一(横浜)と熾烈な争いを繰り広げたが、惜しくも新人王の受賞とはならなかった。しかし、期待の若手として大きな注目を浴びたことは間違いない。
一転、2年目はクローザーを外れ、二軍落ちも経験するなど苦しんだ。1年目から登板数を減らし、22試合の登板に終わってしまう。しかし、3年目以降は中継ぎとしてフル回転。とくに2006年からは4年連続で27セーブ以上を記録し、リーグを代表する投手にまで成長した。
それ以降は、不振や故障に悩まされることになるが、中継ぎとしてチームを支え、昨シーズンも22試合に登板。しかし今シーズンは、一軍昇格を果たすことができず、現役引退を決意した。
最優秀救援投手は大野、津田、江夏が獲得
広島で歴代最多の165セーブを挙げた永川だが、最多セーブのタイトルを獲得するには至らなかった。自己最多の38セーブをマークした2008年は、クルーン(巨人)が41セーブでタイトルを獲得しており、惜しくも手は届かなかった。
しかしタイトルを獲得できなかったのは永川だけではない。意外なことに、最多セーブ(1974年・75年、2005年〜)のタイトルホルダーを振り返ると、永川だけでなく広島からの受賞者はひとりもいない。これはセ・リーグでは広島だけ。他の5球団からは、最多セーブのタイトルホルダーが生まれている。
ちなみにセーブポイント(セーブ数+救援勝利数で算出)が基準だった最優秀救援投手(1976年〜2004年)では、大野豊(1991年)、津田恒美(1989年)、江夏豊(1979年・80年)と3人が受賞。とはいえ、直近の大野でも28年前のこと。長きに渡ってクローザーが受賞するタイトルホルダーが現れていないのだ。
当然ではあるが、セーブ数はチームの勝利数が多ければ多いほど伸びやすい数字だ。1991年から25年間に渡って優勝から遠ざかっていた広島からタイトルホルダーが生まれなかったのも必然か。しかし、Aクラスの常連となっている近年であれば――。永川が獲得できなかった同タイトルを獲得する後輩が現れる日も近いかもしれない。
<通算成績>
▼ 永川勝浩(広島)
527試合(582回)38勝42敗165セーブ79ホールド 防御率3.47
▼ 過去15年の広島守護神
※カッコ内は同年の最多セーブ投手とセーブ数
05年 24S:ベイル(岩瀬仁紀/46S)
06年 27S:永川勝浩(岩瀬仁紀/40S)
07年 31S:永川勝浩(藤川球児/46S)
08年 38S:永川勝浩(クルーン/41S)
09年 36S:永川勝浩(岩瀬仁紀/41S)
10年 11S:横山竜士(岩瀬仁紀/42S)
11年 35S:サファテ(藤川球児/41S)
12年 21S:ミコライオ(岩瀬仁紀・バーネット/33S)
13年 27S:ミコライオ(西村健太朗/42S)
14年 25S:ミコライオ(呉昇桓/39S)
15年 29S:中崎翔太(呉昇桓・バーネット/39S)
16年 34S:中崎翔太(澤村拓一/37S)
17年 23S:今村 猛(ドリス/37)
18年 32S:中崎翔太(山崎康晃/37)
19年 12S:フランスア
※数字は2019年9月23日終了時点