田中賢介は1499安打でユニフォームを脱ぐ
9月27日、田中賢介(日本ハム)が現役最後の試合に臨んだ。この試合では適時打を含む2安打を放ち、NPB通算1499安打で現役生活に別れを告げている。
田中はMLBで8安打を放っており日米通算では1507安打となるが、NPBでは節目の1500安打にあと1本届かなかった。試合後の挨拶でも「いつもちょっと足りない野球人生だった」と語っていたが、この田中のように“節目”の数字にわずかに届かず現役を引退した選手というのは多い。
野手で見ると飯田徳治(国鉄)が1978安打で現役を引退。引退した1963年も85試合に出場し24安打を放っていた。もう1年現役を延長すれば、名球会の会員資格である2000安打に届いていたはず。しかし、この当時は名球会(1978年設立)自体が存在していなかった。
投手では長谷川良平(広島)が197勝で1963年に現役を引退している。長谷川も飯田同様に名球会設立以前ということもあり、200勝という節目に固執することなく引退。翌1964年からコーチ職についた。
両リーグ200本塁打目前で引退
近年では、村田修一(巨人ほか)のような例もある。2017年に100安打を放ち、通算1865安打とするも、翌年の契約がなかった村田。独立リーグを経てNPBでの復帰を目指したものの、獲得に名乗りをあげる球団はなく、現役引退となってしまった。
数字だけを見ると、残り135安打は『あとわずか』というほどではないかもしれない。しかし、前年に100安打を放ち、打率.262とそれなりの成績を残した村田からすると、「あとわずか」と言っても差支えはないだろう。
村田と日本大学時代の同級生にあたる館山昌平(ヤクルト)も節目を目前にして引退した。館山は998奪三振と1000奪三振まで残り「2」に迫っていたが、引退会見の席で「興味ない」とコメント。引退試合で記録を狙うこともなかった。
2000安打というところでは、谷佳知(オリックス)が1928安打、井端弘和(巨人)は1912安打で、ともに2015年を最後に引退。とくに井端は、引退したシーズンも98試合に出場し、前年を上回る68安打を記録。チーム内の争いが熾烈なチームではあるものの、2000安打も狙える位置だったが、同級生の高橋由伸の監督就任に伴って、現役を引退することを表明した。
その他で有名なのは、大杉勝男(元・ヤクルトほか)。大杉はパ・リーグの日本ハム(前身含む)と、セ・リーグのヤクルトの2球団でプレーした長距離砲。日本ハムで287本塁打、ヤクルトで199本塁打と、両リーグで200本塁打まであと1本というところでの引退となった。
引退試合のスピーチでは「最後に、わがまま気ままなお願いですが、あと1本と迫っておりました両リーグ200号本塁打、この1本をファンの皆様の夢の中で打たして頂きますれば、これにすぐる喜びはございません」との名言を残したことでも知られている。
このように、あとわずかで節目や大台に到達するところで現役を引退する選手は多い。もちろん自身の一存だけでどうにかなるものでもないが、彼らの存在はファンの記憶には残り続けるはずだ。