開幕直後は制球難に苦しむも
「最初は自分が描いていたシーズンとは、ほど遠かったという感じですね。即戦力として指名されたので、開幕から中継ぎに入ってチームのためにと思ったんですけど、思うような成績を残せなかったですし、ちょっと崩れていったというところもあった。後半は力になれたので、そこは自分なりにポジティブにできたところかなと思いますね」。
ロッテの東妻勇輔は、開幕直後は制球に悩んでいたが、徐々に解消されシーズン後半には一軍でセットアッパーを任されるまでになった。
春先は悩んでいた。即戦力として1年目から活躍が期待されたが、開幕は二軍スタート。二軍でも初登板となった3月26日の日本ハム戦で0回2/3を投げて2失点、続く4月4日のヤクルト戦でも1回3失点と苦しい投球が続いた。4月6日のDeNAとの二軍戦が終了した時点で、3回2/3を投げて9与四死球とイニングを上回る数の与四死球だった。
それまで東妻は走者がいないときにワインドアップで投げていたが、今季まで二軍投手コーチを担当した清水直行氏(現・琉球ブルーオーシャンズ監督)の助言で、走者がいないときも、4月16日のセガサミーとの二軍練習試合からセットポジションで投げるようになった。同時に東妻の持ち球のひとつである大きいスライダーを封印した。
走者がいないときもセットポジションにしたことで、制球力が飛躍的に向上。5月はファームで7回1/3を投げて、わずかに与四死球が1つ。「フォームを確立して、今ではストライクを投げたいときに投げられるという自信がついた。それもあって5月に入ってからいい感じにできているのかなと思います」と自信をもってマウンドにあがれるようになった。
7月2日にロッテ浦和球場で行われた巨人三軍との練習試合では、小山に投じた6球目に「しっかり腕が振れていたので、出ていてもおかしくないかなと思いました」と自己最速タイの155キロを計測。いつ一軍に呼ばれてもいいような準備を続けていた。
一時はセットアッパーも担当
翌7月3日にプロ初昇格を果たす。プロ初登板となった同日のオリックス戦では「すごい力んでしまった」と話したが、1回を無失点に抑える上々のデビューを飾った。
その後も安定した投球を続け、8月に入ってからは“勝ち試合”での登板も増えた。“勝利の方程式”の一角を任された東妻だが、シーズン終了後に「8回を任されていたといいますけど、全然自信がなかった。ただ、(任された以上は)自分のいいところを出していこうという風にやっていた。最後は打たれて下に落ちた」と5月にファームで自信を取り戻すも一軍を経験し、改めてプロの厳しさを学んだ。
9月は8日のソフトバンク戦から4試合連続で失点し、16日に一軍登録を抹消。9月に失点が重なったのも、“自信のなさ”が原因だったのだろうかーー。
「1回打たれ始めて、どう止めていいかわからずズルズルいってしまった。なにかしら自信のあるボールがあれば、それに頼れたと思うんですけど、どれも頼れるボールがなかったというのが、そういう結果につながったのかなと思います」。
被打率を見ても左打者に対して.173に対し、右打者に対しては.385と打ち込まれた。一旦封印した大きなスライダーだが、東妻は「さすがに右バッターの被打率がちょっと高くて、スライダーが使わないと抑えられない場面がでてきた。シーズン最後の方に何球か投げていたんですけど、いいときもあれば、悪いときも多かった。そこをもう少しバランスよくというか、いいボールを多く投げられるようにしていきたいなと思います」と来季以降は再び大きなスライダーを使っていく考えだ。
2年目の来季に期待
ロッテは今季、守護神・益田直也の前を投げる“8回の男”をシーズン通して固定することができなかった。リーグ制覇するためにも、“勝ちパターン”を確立したいところ。夏場に勝ちパターンのリリーフを一時的に担った東妻も、“8回の男”の候補のひとりといえるだろう。
「球威とか変化球とかっていうのは、自分なりにもプロのバッターに通用する手応えはあった。あとはコントロール、基礎体力を来シーズンまでには向上させたいと思います」。
「1年通して一軍にいてチームの戦力になって、なおかつ個人の成績も残せれば最高かなと思います」。
プロ2年目となる来季こそ、シーズン通して一軍で活躍し、チームの勝利に多く貢献していきたいところだ。
取材・文=岩下雄太