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運命を分けた「2006年(高)ドラフト」 FA市場の目玉になった男と、育成から再出発の男

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大嶺のくじを左手で目隠しをして引くロッテのバレンタイン監督(当時)

福田と大嶺の浅からぬ縁


 ロッテは26日、FA権の行使を表明していた福田秀平選手(30)の入団が決まったことを発表。残留のオファーを出していたソフトバンクも含めた、総勢5球団による争奪戦を制した。

 福田は30歳の外野手。巨大戦力のなかにあってレギュラー奪取とはならなかったが、パワーとスピードを兼ね備えたスーパーサブとして今年も80試合に出場。キャリア最多となる9本の本塁打をマークしたほか、ポストシーズンでも攻守に渡る活躍を見せてチームの日本一3連覇に貢献した。


 10月のドラフト会議では、目玉のひとりだった佐々木朗希の交渉権を獲得。さらに11月に入ってFA戦線でも楽天から美馬学の獲得にも成功と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのロッテ。いつになく順調すぎるオフに、ファンの間でも喜びとともに驚きが広がっていたなか、「福田入団決定」の一報から約1時間後、球団はもう一件のお知らせを発表する。

 タイトルは「来季契約について」──。その中身はというと、大嶺祐太投手・高濱卓也選手と育成選手契約を結んだというもの。福田と同じく、かつてはドラフト1位でプロの世界へと入ってきた2人が、来季は3ケタの背番号からスタートすることになった。


運命を分けた2006年の高校生ドラフト


 特に大嶺に関しては、福田と同じ2006年の高校生ドラフトでプロ入りした13年目の選手。そのドラフト会議が、後の2人の運命を大きく分ける。

 2人がプロ入りした2006年。その年の高校球界といえば、夏の甲子園・決勝はあの早実-駒大苫小牧。斎藤佑樹と田中将大の両エースが引き分け再試合の死闘を繰り広げた伝説の年であり、この年の高校3年生にあたる“1988年世代”は、後に多くのプロ野球選手を生んだ。

 その中にあっても、大嶺祐太は斎藤や田中に負けない怪物候補のひとりとして大きな注目を集めていた。八重山商工のエースとして春夏連続で甲子園に出場。離島のチームが聖地で次々に強豪校を打ち破っていく快進撃は、多くの高校野球ファンの心を掴み、大きなインパクトを残した。

 一方で、福田秀平はというと、甲子園出場経験のない多摩大聖ヶ丘高でプレー。プロスポーツ選手のOBもいないという進学校でその才能を育み、強打と俊足を兼ね備えた両打ちの遊撃手として徐々に注目を集めたが、3年夏の西東京大会も準決勝で敗退。1位指名が確実視されたような選手ではなかったように思う。


 そんななか、迎えた運命の一日。大嶺にはロッテとソフトバンクの2球団が1位指名。事前の報道では「ソフトバンクと相思相愛」というのが大方の見方だっただけに、今になってドラフト後の反応を見てみると、たしかに“ロッテが強行指名”という表現が多い。事後記事によれば、当時ロッテを率いていたボビー・バレンタイン氏がその才能にほれ込み、1位指名をお願いしたのだという。

 運命のくじ引きの結果、大嶺の交渉権は“強行”のロッテが獲得。これには大嶺サイドも戸惑いを隠せず、入団拒否も可能性として浮上したが、バレンタイン監督が自ら石垣島まで足を運ぶなど、粘り強い説得の末になんとか入団までこぎつけた。

 そして、この1位抽選の直後、くじ引きで敗れたソフトバンクが“ハズレ1位”で指名したのが福田である。この福田を高く評価していたのは他でもないロッテで、ドラフト会議の直前には当時の担当スカウトだった松本尚樹氏(現在は球団本部長)が多摩大聖ヶ丘高を訪れ、「福田くんを指名したい」という旨を伝えていたという。

 こればかりは巡り合わせもあって断言することはできないが、おそらくロッテの2巡目の時点で福田がまだ残っていたら、この年のロッテは1位:大嶺、2位:福田となっていたのではないか。また、ロッテがソフトバンクとのくじ引きに敗れていたら…?こうした想像(妄想)は尽きない。


様々な縁が重なった運命のFA移籍


 福田は26日にブログを更新。自らの言葉で今回のFA権の行使や、移籍を決断するまでの経緯を説明した。

 そのなかで、数ある球団のなかからロッテを選んだ理由として、ある2人の名前を挙げている。

 「今回ロッテとお話させていただく際にご同席いただいている松本球団本部長は自分がホークスに入団することが決まったドラフト会議の数日前に私の高校にいらっしゃり『福田くんを指名したい』と言っていただいた当時の担当スカウトの方で初めて自分がプロ野球選手になれるかも知れないと思わせてくれた方でした」

 「私がホークスに入団してまもなく実父が他界しました。まだ19歳でしたしショックも大きく、また当時プロの野球のレベルに全くついていけず、実はその時に野球を辞めようとしていました。そんな自分に厳しい練習でグラウンドの上では悲しみを忘れさせてくれて、プロ野球選手として生きていく覚悟を決めるきっかけを作ってくださったのは当時ホークスの2軍のコーチだったロッテの鳥越ヘッドコーチでした」(原文ママ)


 プロ野球選手という夢を現実のものとして考えるキッカケをくれた人物と、プロ入り後の苦しい時期を支えてくれた人物。あれから10数年が経ち、前者は球団本部長という立場になって、かつて目をかけていた男にオファーを送り、後者はかつての愛弟子にもう一度いっしょに戦おうとラブコールを送った。この2人の存在が決断の大きな後押しとなったことは言うまでもない。

 もし、最初に入った球団がソフトバンクではなかったら、福田と鳥越裕介氏との間の強固な師弟関係はなかったかもしれない。それだけでなく、もし鳥越氏がロッテに移ってきていなかったら、もしロッテの球団本部長が違う人だったら…。どれかひとつでも欠けていたら、「ロッテ・福田秀平」は誕生していなかったかもしれないのだ。


 あのドラフト会議から13年…。福田は初めてプロ入りを意識させてくれたチームに、補強の目玉としてやってくる。新天地では不動のレギュラーとなれるのか、新たな戦いが始まる。

 一方、大嶺は14年目のシーズンを3ケタの背番号で迎える。今年の1月に「右肘内側側副靭帯再建術および鏡視下滑膜切除術」という大手術を受けたこともあり、今季は二軍でも登板なし。これで2年連続の一軍登板ゼロとなったが、育成とはいえ契約が用意されたということは、本人も球団も復活を諦めていないということ。

 「状態はいいのでオフもしっかりとトレーニングをしてキャンプから投げて、また支配下登録をしてもらえるように頑張りたいです」(大嶺)。福田の加入も刺激に変えて、一軍のマウンドに返り咲くことができるだろうか。
 

文=尾崎直也
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